
やん
@grilledyangyang
2024年7月16日
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック,
土井宏明,
浅倉久志
読み終わった
かつて読んだ
また読みたい
核戦争後、生物が何よりも価値を持つ世界で、「非生物」である不法アンドロイドを狩る人間リックが、「人間とはなにか」を問われていく物語。常識を揺さぶる、めちゃくちゃ傑作。
アンドロイドかどうかを確かめるために、心理検査法のような質問をして生体反応を測定するという、SFにしては古風な手法を取っている。原著が書かれた時代を考えると、アメリカでDSM-1が改訂された頃で、当時の精神医学における「正常/異常」の境界をめぐる問題とも重なって見える。
本作の凄さは、「落ち着きがないからADHDだわ」のように「アンドロイド」の定義を単純化しないところだ。
「人間とアンドロイドの違いは何か。そもそも、両者の間に明確な違いはあるのか」
現代的に言えば、発達特性を単純な正常/異常の二分法ではなく、定型発達とASDに境界を設けずスペクトラムとして捉える発想とも響き合う。半世紀以上前の作品なのに慧眼だ。
人間のような共感や機微を示すアンドロイドもいれば、アンドロイドのように冷淡な人間もいる。そうした「異端」との出会いによって、リック自身の常識、そして「自分は人間である」というアイデンティティまで揺さぶられていく。
「人間とはなにか」という命題を突きつけられることで、天啓的な体験をする。
物語の核心とも言えるマーサー教も面白い。
私に知識がなくて分からないのだけど、クエーカー教などの影響があるのだろうか。みんなで共鳴し、震えるという具体的な身体体験を通じて、心や神秘を共有し、精神の安定を図る。
核戦争によって地球そのものが見捨てられ、宗教的・哲学的な意味づけを失いつつある人類は、抽象的な理念だけではなく、具象的な体験や「共感できる」という具体的な感覚に縋って生きているように見える。
対して、アンドロイドは抽象的な概念や俯瞰的な視点を重視する傾向が見られる。そして、心の共感力が欠けている。
だからこそ、共感の神秘を共有するマーサー教を「イカサマだ」と暴露すれば、マーサー教は簡単に崩壊するのではないかと思っている。
しかし、そう簡単でもないだろう。
ホモ・サピエンスは幻想を共有できるからこそ巨大な集団を作り、生き延びてきたのだから。
そのことを体現しているのが、もう一人の主人公イシドアだ。彼は「特殊者」と呼ばれる、おそらく知的障害のある人物として描かれている。作中でもっとも「良い人」に見える彼は、マーサー教を崇拝し、その共感の世界を体現している。
しかし、彼もまた保身を考えたり、損得を考えたりする憎めないキャラクターだ。
障害者を過度に美化したり、純粋無垢な存在として神聖視したりすることも、結局は一人の人間として見ていないという意味で差別になり得る。イシドアを「良い人」でありながら、普通に打算も弱さもある人間として描いているのは、絶妙な塩梅だと思う。
イシドアのように集団での共感体験を求める人を否定するわけではない。しかしリックは、一人きりの孤独な状況で自己認識を揺さぶられ、マーサーとの同一化という、ある種の神秘体験をした。その末に悟りを得、心に平安を得たところで、彼の現実そのものは何も変わらない。
それでも、身近な妻との関係には小さな変化が起きている。
リックの“眠り”、つまり擬似的な死を経て、序盤とは打って変わった妻の穏やかで優しい言葉で締められる物語は、深い余韻を残す。
振り返れば、派手さはない。なんとも地味で、ホコリにまみれて草臥れた男の物語だ。
マジョリティの常識が支配的な世界で、自分はマイノリティと何が違うのか。そもそも本当に別の存在なのか。双方ともに、生命には違いないのだ。
草臥れた世界と、草臥れた男の物語を通して、そんな当たり前のことに気づく難しさが印象に残った。







