
無題
@______enrai
2025年4月6日

死との約束
アガサ・クリスティー,
高橋豊
読み終わった
彼女はひとりでほほえんでいた――虚空へほほえみかけていた。いささか奇妙な微笑だった。ソロモン・ホテルやエルサレムとはおよそ縁遠い微笑だった。何かを思い出させるような微笑だった……。やがてそれが博士の心にぱっと浮かんだ。アテネのアクロポリスの処女たちの唇にただよっているあの不思議な微笑だった――どことなくよそよよしくて、ちょっと冷酷な感じの、しかも美しいあの微笑なのだ……。その微笑の魔力が、彼女の上品な静けさが、彼の心を打った。
それから、彼女の手を見て、はっとなった。それはテーブルの下になっていて、ほかの家族たちには見えなかったが、博士の坐っている場所からはよく見えた。その両手は、膝の上で薄い絹のハンカチをちぎるようにして、細く引き裂いているのだった。
博士は愕然とした。
あのとりすました、よそよそしい微笑――静まりきった体――そしてせわしげな破壊的な手。