
やん
@grilledyangyang
2024年7月27日
普通という異常 健常発達という病
兼本浩祐
読み終わった
かつて読んだ
また読みたい
「健常発達もまた病理なのではないか」という問いを、様々な実例を補助線として論じていく。身近な事柄や症例から、哲学、精神分析、アートまで幅広く取り上げており、「障害の本」と思って読み始めたら、とんでもなく哲学的で分野横断的だった。非常に難しいが、面白かった。
・健常発達同士の「いじコミュ」
・現代人の存在を確立する「いいね」
・デカルトやハイデガーの向こう側にある実体(レアル)論。
・精神分析における「去勢」
・ウォーホルとポロックの近〜現代アート。
・ミッキーマウスと天皇制。
・「あざとさ」
・極限まで平板化することで普遍性を獲得する「アイコン」と「アケイロポイエトス」
・マリリン・モンロー「お喋りと好奇心の受容器」としての極限のアイコン性。
・「いいね」はあらゆる人を小さなマリリン・モンローにする特性がある。
・サルトルによる人間の条件。
・「人は人を浴びて人になる」「いいね」によって人となる。「いいね」は、現代人にとってその承認を与える装置なのだろう。しかし、他者から認められるためには、他者から認識されやすい形にならなければならない。「いいね」は人を平板化し、アイコンにしてしまう。
以下、雑多な備忘録。
・「いじわるコミュニケーション」(いじコミュ)、つまり対人希求性の表出が実生活で取りうる形に焦点を当てる生活臨床。
なんか、職場のお姉様方の挙動が脳裡に過って、キツイわぁ〜。なるほどね。そういう行動原理が働いてるのね。
「いじコミュ」がない世界が色褪せた世界、なんて......それは優しい世界だろ。
・健常発達の多くは、「色、金、名誉」を人生の骨格にしている。色+名誉=対人希求性。
生活臨床では、こうした人生の躓きの原因となったものを排除するのではなく、むしろ人生の「つっかい棒」として、倒れてしまわないよう支えに利用する。
・症状に治療の目標を置くのではなく、生活に目標を置く、という着眼点。当事者が大事にしていること、したいことの実現に寄り添う。この姿勢は大切にしたい。
・ADHDと健常発達、それぞれに特性の長所と短所がある。ADHDを「ドーパミン移行欠陥症候群」と見るなら、健常発達を「ドーパミン移行過剰症候群」と解釈する余地もあるのではないか。
・ナッジも面白い。合理的選択を前提にした、なんとも帝国主義的なリベラリアン・パターナリズムの権化。
・ADHDの三重経路モデル。時間のリズムの刻み方がばらついてしまう時間知覚。デフォルト・モード・ネットワークの休止障害仮説。これらは特性としてさらに調べてみたい。
・デカルト的コギタチオなど、哲学をほとんど触れてこなかった身としては、とにかくムズい。しかし、こういうものを身につけると、世界の見え方の解像度が上がるんだろうなぁ。
・本書の議論を読んでいると、ミッキーマウスの在り方って、近世以前のヨーロッパにおける「神」だよなぁ。人間は、何らかに「存在の確立」を保証してもらわないと、自己がバラバラになってしまうのだなぁ。宗教文化や社会構造が劇的に変わったことの弊害の一つが、現代の「いいね」文化なんだろうな。そう考えると、今はまさに社会の転換期なのかもしれない。
・「私たちの身体は根源的にその成り立ちにおいて初めからすでに侵入されてしまっているものとしか存在していないのではないか」
アリストテレスが、目の前の机や椅子を第一の実体とする哲学を、デカルトは「私」を第一の実体とする哲学へ反転させた。現代は「いいね」を第一の実体とする哲学へ変容したのか?
「人間」を考えるって難しい!!!