普通という異常 健常発達という病

23件の記録
- リト@leato2025年6月8日読み終わった借りてきた「たとえば、漱石の作品中で最長であって、即天去私の心境を描こうとしたと言われている「明暗』を例に取ってみましょう。そこでは、主人公の津田雄、その妻・お延、妹・お発、かつての恋人・清子の心理描写が、鋭利な筆致で描かれています。しかし、とこで照準をあてられているのは、「私」であって、延々と「私」を追い求めることで、むしろ「私」がとめどもなく見失われていく様子が臨場感を持って活写されています。 『明暗』においては、外部世界から予想外に侵入する攪乱者として寿核と吉川夫人が登場しますが、子規ならば、むしろ、特によってお尻に開いた穴を体感し、そこを活写する一瞬に明滅する「私」を捉えようとしたような気がします。子規が、「食べる」「病む」「見る」といった行為を通して対象に没入することで、則天去私を実行し、ものに照らされた見事な「私」を浮かび上がらせているのに対して、『明暗』の主人公を枠づけているのは、むしろ、物語の外にある寿核とか津田を不倫へと誘う吉川夫人であって、生きるととの不可解さ、あるいは隠されたレアルなものの不可解さに主人公は翻弄されるのです。」
- amy@note_15812025年3月9日かつて読んだ感想”定型発達の特性を持つ人も負けず劣らず病的になることがあるのではないか、この本で取り扱いたいのは、こういう疑問です” ADHDやASD、いわゆる非定型発達という概念が浸透してきた。それに対して、定型発達の特性が過剰な人の特性についても紐解いていくという本 興味深かったのは脳内のドーパミン放出に関するところだった。健常発達(本のなかで著者があえてこう書いている)は自分がなにかに直接触れて感じた快・不快を、すぐにまわりの多くの人が良しとする行為や目標へ置換される。これが躾のしやすさやルールを守ることにつながりやすいが、つまりそれは、社会制度的な正しさが自分の実感と深く結びついてしまい、自分が本来何を求めていたのかが曖昧になりやすちことではないか、と書いているところはああ、なるほどなと納得した 自我よりも社会の要請に従いやすいとでも言えばいいのか。とりあえず従っておくというのは校則なんかでも何のためにこのルールを守るのか、というところを一足飛びにして、とにかく従うものというようなことになりやすい 後半は哲学的な内容になり、正直難しくあまり理解できたとは言えないかもしれないけれど、前半の健常発達(定型発達)はいったいどういうことか、という内容だけでも読む価値はあったと思う
- みつ@m-tk2025年3月6日借りてきたかつて読んだ---デカルトにとっては、水槽の中の脳が思っていること、この思っていること、この思っていることそのものはどうやっても否定できない、つまり水槽の外がどうであれ、水槽の中の脳が思っていることにこそ、そこから出発すべき確かさがあるのだといっているのです。
- Kannazuki@kannazuki2025年3月6日買った読み終わった息子は自閉症の診断は受けていないが知的障害がある。息子の見ている世界と私が見ている世界、息子を形作っている世界と私を形作っている世界。私が経験することのできない世界に、息子は生きている。