DN/HP "アンデル9" 2026年9月13日

DN/HP
DN/HP
@DN_HP
2026年9月13日
アンデル9
アンデル9
中央公論新社
昼過ぎに歩いて向かった図書館には目当ての文芸誌が置いていなかったから、川を渡った先にあるデパートの本屋でまた別の文芸誌を買う。どちらも読みたかったのは滝口悠生さんの小説で、買った文芸誌に載っているのは「異世界転生」を共通テーマに、複数の作家が競作するシリーズで書かれた「伊勢へ」という一編。帰り道というには遠回り過ぎる道筋を歩きながら、何度かコンビニでコーヒーを買って、幾つかの公園のベンチに腰掛けながら、数頁ずつ読み進めていく。失恋をきっかけに会社を辞めた先輩と長い時間をかける列車の旅に出る「僕」の記憶と思いと夢と思索。 「二十年前に思い描いた二十年後ときっと同じではない二十年後を生きながら、そのひとは二十年前をどんなふうに思うだろうか。間違っていたと思うか、やり直したいと思うか。そうだとして、やり直したりすることなんかもちろんできない。ただ、いまとは違う場所に至る道筋を一日一日、一年一年、間違えないようにたどるもうひとつのありえた人生、いまこことはべつの世界を生きる自分を、空想的にたどり直すことしかできない。」 歩きながら二十年前を思い、そのとき思い描いていた二十年後を思い、それとは同じではない今を思う。当然、間違っていたと思うし、やり直したいとも思う。ああ、とため息をついてから「間違えなかった」二十年を生きた自分を空想的にたどり直す。でも、そうやってたどり直した二十年後には「間違えなかった」とたしかに思えるのだろうか。きっとそんなことはなくて、人生は振り返ればいつも間違っている、多分。 そのなくなることのない幾つもの間違いを思い、やり直すことは出来なくとも、出来るだけ間違えないように生きていく。でも多分また間違えちゃうけれど、そこでまたこんなことを思うのが人生か、とそんなところに思い至る。長めの時間をかけた読書と散歩は「別の世界」いくことも別の自分に「転生」することもなかったし、思い至ったところもありきたりな気もするけれど、それは歩き読んだことによるたしかな「変化」でもあって、と思い込んでみれば、その新しく「変化」した自分も愛おしく思えなくもないのだった。 そんな思いに至ると同時に辿り着いていた大好きな古本屋さんで、これも大好きな安岡章太郎さんの文庫本を一冊買う。そんなこんなで、やっぱり今日もOKだったなと思う。色々とたくさん間違えながらもそんな日を積み重ねていくのが人生なわけだ。と最後にまた大袈裟になったけれど、そんなこともいいたい気分な帰路。 そういえばこの前また別の文芸誌に感想を書いたときに入力した「好きな作家」は滝口悠生さんと安岡章太郎さんで、好きな作家の短編を読んで好きな作家の文庫本が買えたなら、やっぱりその日は全部OKでしょ。もしかしたら今日は「間違えなかった」一日かもしれない。きっとそうだ、とこれもまた思い込んでおくことにする。 ---- 勝手に失恋し会社を辞めて列車の旅にでる「濱地さん」に「窓目くん」の面影をみて、懐かしい友人に再会したような愛おしさも勝手に覚えたりもしている。
アンデル9
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved