
ジクロロ
@jirowcrew
2026年9月14日

安野光雅 自分の眼で見て、考える
安野光雅
読んでる
神さまは楽しいよ、読む人は見つけようとするけど見つからない。教養が邪魔をするんだね。探せないものは、じっさいあるかもしれないんだから。
(p.73-74)
ほんとうのことを、あらゆる手段を尽くして探そうとする人と、
ほんとうのことを、眼鏡をかけていることを忘れて過ごしているのと同じように忘れている人と。
前者は世界を外に認め、後者は世界を外につくる。
どちらも固定的な「意味」というものを持たない(持つことがない)という点が共通点。
それを信じているか、信じていないかという違いはあるものの。
ほんとに神様は楽しいのかな、と思う。見つけようとしている人を眺めている人は、ほんとうのことを忘れているのではないか。(人じゃないから神なのだ、という当たり前のこと)
"ユーモリストとまわりの人間との関係は、音楽家の場合のように対称的になるとは必ずしも言えないようなのだ。……ユーモアの伝達の場では、一人が中心に立ってユーモアを披露すると、他の人間は受け手の側に回るというのがふつうである。"
(『精神の生態学へ(中)』 ベイトソン)
ピエロが涙を流している理由は、対称的(水平性)な関係性が得られないという宿命性にある。
「教養が邪魔をするんだね」と、神頼み。
これはベイトソンが乗り越えようとした壁そのものであると言えそう。

