ケイ "魔の山 下" 2026年9月14日

ケイ
ケイ
@flyingkei
2026年9月14日
魔の山 下
魔の山 下
トーマス・マン,
望月市恵,
関泰祐
79〜121ページ ハンス・カストルプは、セテムブリーニの同宿人ナフタの激烈な主義主張に耳を傾け、一人の時間にそれを反芻し精神的な「陣取り」遊びにふける。 アナーキスト的に見えたナフタは、実際にはイエズス会士であり、その無政府主義・コミュニスト的な主張はすべて最尖鋭とでも言うべき徹底したキリスト教信仰に基づくものであった。すべての人間が神の子であった原始の状態に戻ること、私有財産と私欲の調整のために契約によって築かれた国家による支配を打ち壊すことを主張し、進歩なる名で呼ばれる私欲拡大の道具である機械工業や金融業の発展を徹底的に拒むその思想は、並ぶ提案自体はコミュニスト的であっても、出発点が人ではなく神、人間の尊厳や権利より神の正義が重んじられている点で共産主義とはまったく質を異にする。 質素な借間を豪奢に飾って暮らすナフタの、神の世界と自然科学的世界、精神と肉体を対立させて説くセテムブリーニ言うところの「淫蕩な」二元論、極端で先鋭的な主張は、カストルプ青年には胡散臭さと同時に力強い魅力も感じさせる。「外見は論理的だが、本質は混沌そのもの」と評されるナフタ、イエズス会士の長老になる直前に病のため療養地へ転地することになったナフタを、カストルプ青年は精神と病の結びつきという実験採択的視点から興味を持って眺め……その結果についてはこの先で、ということだ。一見難解な議論が続くだけの章だが、起きていることはスリリング。
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