魔の山 下

魔の山 下
魔の山 下
トーマス・マン
望月市恵
関泰祐
岩波書店
1988年10月17日
27件の記録
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年10月8日
    読み終わってしまった…… 上下巻通しての感想はまたブクログにちゃんと書きます。 昔読んだ時は気づかなかったけど、マンの思想にはニーチェの影響がけっこうある気がする。『ペッパーズ・ゴースト』のおかげで次はニーチェ読むつもりになってたので、ちょうどよかったかも。 493〜最終ページ ペーペルコルンが亡くなり、ショーシャ夫人もベルクホーフを去った。空虚な娯楽に夢中になるベルクホーフの人々を横目に、カストルプ青年は新たに導入されたレコードプレーヤーに熱中する。また、北欧から来た少女を霊媒とする交霊会に参加し、ヨーアヒムの姿を目にするが、その姿は第一次世界大戦後のドイツ軍服を先取りして身にまとっており、カストルプ青年自身の未来を映すかのようだ。 カストルプ青年が熱中して聴くレコードは、ヨーアヒムを連想させる「ファウスト」ヴァレンティンのアリアのほか、「アイーダ」の地下牢の場面であり、「カルメン」のホセの哀れな熱唱であり、歌曲「菩提樹の歌」である。死を前にしたラダメスとアイーダの愛、蠱惑的なカルメンに心囚われたことで身を滅ぼすホセの愛と絶望、そしてドイツ人にとって幼い頃から耳馴染みのある「菩提樹の歌」さえからもカストルプ青年は死への誘惑を感じる。死は魅惑的で、けれど、病を抱えながらベルクホーフで中身のない「忙しさ」に興じる生活には芸術が歌い上げるような美しさも崇高さもない。ベルクホーフでの時間の空虚さは、次第にカストルプ青年を無気力、無感動へと陥らせる。 やがて、世間から隔絶された魔の山に、ヒステリーが蔓延する。隔絶されてはいても日々きな臭くなる世界情勢が影響するのか、無限であるがゆえにゼロでもある毎日の虚しさによるものか、誰も彼もが神経を高ぶらせ、カストルプ青年の教師を自認するセテムブリーニとナフタが決闘騒ぎを起こすまでになる。 魔の山での実験採択、思索的な冒険と肉体的な停滞は、カストルプ青年を現世から引き離しもはや自らの意志で山を去ることなど考えもつかない状態にさせていたが、サラエボ事件によってその状態は外部から打ち破られる。現実が不意に目の前に立ち現れ、カストルプ青年は教師セテムブリーニに別れを告げて魔の山を去っていく。 砲弾が飛び交う戦場で、数多くの青年兵士の一人として泥にまみれて走るハンス・カストルプが「菩提樹の歌」を口ずさみながら塵埃の中へ消えていくラストシーンは、何度読んでも強烈な幕切れである。思索の果て、現世と隔絶された世界での冒険の果てに、死の魅惑というある意味優雅な思考の入る余地のないほど切羽詰まった局面、本能的に生だけを求めて駆けていくしかない戦場という場に置き去りにされたハンス・カストルプ、非人間的な時代の始まりとも言える混乱の中に消えていった単純素朴な青年の姿に、ここまでの教養文学的な体裁すべてを壮大な皮肉にまとめあげたトーマス・マンのシニカルな眼差しと、その底流に流れる、愚かで理屈っぽい神の「厄介息子」たる人間への愛がにじむ。
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年10月7日
    もうすぐ終わっちゃうなー、魔の山…と思いつつページをめくっています。 341〜492ページ ヨーアヒムが去り、時は流れ、ベルクホーフにショーシャ夫人が戻ってくる。ただし単身でではなく、ペーペルコルンなる60歳過ぎの裕福な偉丈夫を伴っての帰還である。カストルプ青年は衝撃を受けるが、次第にこの人物のスケールの大きさに興味を惹かれ、親しく交際するようになる。恋敵とも言える相手であってもニュートラルにその魅力を受け止める素直な態度は「単純素朴」なカストルプ青年らしい鷹揚さで、かえってショーシャ夫人が少し「ぷりぷりする」というのも面白い。 結核患者ではないけれども持病があり、老境に差し掛かりながら逞しい体躯を持ち、意味ありげな身振りで周囲の人びとを魅了する一方その言葉は尻切れとんぼというペーペルコルン、大いに飲み、食べ、病と生のいずれをも激しく燃焼させる彼に、カストルプ青年は圧倒される。言葉を超えた領域で、まさにその身に病と生を具現化しているペーペルコルンを前にすると、セテムブリーニもナフタも鋭い弁舌を見せる論客というより「おしゃべり」に見えるほどである。 そのペーペルコルンが、自らその生を、すなわち死を意志を持ってコントロールしてみせたことが、カストルプ青年にどのような影響を与えるのか。本作もいよいよ終盤、カストルプ青年が実験採択に思考を遊ばせていられる時間も残り少ない。
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年10月1日
    266〜340ページ 「雪」の章が『魔の山』における思索的なクライマックスとするならば、続くこの章は物語的なクライマックスと言える。ハンス・カストルプ青年の従兄ヨーアヒムの死を描く章である。 軍隊勤務を望んで正式な完治の診断を得ることなくベルクホーフを去ったヨーアヒムだったが、ほぼ一年後の夏に再び療養地へ戻されることとなり、やがて亡くなる。ベッドから離れられない「モリブンドュス」をハンスとヨーアヒムで見舞って回った過去はすでに遠く、いまや自身が「モリブンドュス」となったヨーアヒムに付き添うカストルプ青年は、愛する者の死を看取るという経験をすることになる。 子どもの頃に母、父、そして祖父を亡くしたカストルプ青年にとっては、近親者の死は身近ではあってもその思い出は儀式の荘厳さに収斂されている。そのため、死を厳かな宗教的なものと見なしどこか惹かれてもいて、そのことを自負するがゆえに重病患者の見舞いにも積極的だった。しかし、同世代の従兄、ベルクホーフで長い時間を共に過ごした友でもあるヨーアヒムの死に接し、彼は初めて具体的で身近な死という現象を身を持って知る。それは観念的なものではなく、寂しさであり、恐怖である。カストルプ青年の、「死ぬことは死ぬ本人の問題であるよりも、むしろ、あとにのこる人々の問題である」という思想は、私自身を含め近親者の死に接したことのある者なら頷けると思う。 死を前にしたヨーアヒムが押し殺してきた恋心を一度きり発露する場面、そしてその忍耐強く静かな死、いずれも胸に残る。一方で、死した従兄を悲しみと厳粛な思いとで見送るカストルプ青年が、肉体の崩壊としての死が現出する前にある意味逃げ出していく様は『魔の山』らしいシニカルな展開であり、あくまで情緒に傾かない作品の空気がいっそ清々しい。
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年9月26日
    何度読んでも素晴らしい、『魔の山』の白眉とも言える章を堪能! 215〜266ページ 「雪」と題されたこの章は、『魔の山』全体の中でも思索的な文脈におけるクライマックスと言える。 スキーで入り込んだ山中、白く視界を塗り込める無音にして生の気配のない吹雪の中で、遭難しかかったカストルプ青年は長く短い夢を見、遊びではない真剣な精神的「陣取り」の果てに、一つの結論を見出す。肉体を神と対立するものとし、痛みや病を肉の欲から離れ精神の世界へ向かうためのものだと称賛するナフタの病んだ論理。国家の自主独立や個人の文化的進歩を美しい言葉で説き、相手に通じなくとも倫理的な正しさを称揚し続けるセテムブリーニの頑なさ。ハンス・カストルプは、死と生、病と健康、精神と自然を対立させる彼ら「饒舌家」のいずれにも与せず、死を含めての生を生きてこそ「神の子」たる人間であると考える。死と対立するのは生ではなく、愛である。死と戦えるのは、理性ではなく愛なのだ。 カストルプ青年はこうした結論にたどり着き、ナフタの病んだ論理を否定しつつ、セテムブリーニの非宗教的な倫理をも不完全なものとして退ける。愛と善意を失わず、思考を死に従属させないことを「陣取り」によって導き出した最終結論として心に誓う。 こうして、雪の中で得難い精神的冒険を経て崇高な真理を見出したカストルプ青年だが、しかし、吹雪がやみ、ベルクホーフに無事帰り着いて豊かな食事を取るうちに、雪の中での思考は薄れ始め、「その晩のうちにもうはっきりとのみこめなくなって」しまう。これぞ現実、このシニカルさが『魔の山』を単なる教養文学に収まらせない面白みである。
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年9月24日
    連休中はゆっくり読めなかった『魔の山』…これを読むには静けさが必要。 122〜215ページ 決まったルーティンに時間を溶け込ませることで変化をなきもののように扱うのがベルクホーフに暮らす人びとの不文律、しかし、カストルプ青年がここへ来て一年が経ったころ、なきものとして扱うことのできない変化が訪れる。従兄ヨーアヒムが完治の宣告を待たず下山、念願の軍隊生活へと身を投じたのである。軽症のハンス・カストルプも一緒に帰らされるところであったが、魔の山での水平生活と精神の陣取り遊びがすでに深く身に染み付いたカストルプ青年は、従兄を見送り一人ベルクホーフに残る。山から戻らない彼の様子を見に「下界」から来た叔父も、良識と下界への憧れを持ち続けていたヨーアヒムという歯止めを失ってベルクホーフのルーティンとますます強固に結びついたカストルプ青年には太刀打ちできず、むしろ自身もこの山の魔性の魅力に惹き込まれそうになり慌てて逃げ出したのだった。 従兄と離れたカストルプ青年は、相変わらずセテムブリーニとナフタの論争に耳を傾け、両者の頑固さ・極端さを楽しみながら時折自身の意見も述べてみる。ナフタの過激な二元論は常軌を逸しているが、ナフタの激烈な意見を前にすると自主独立や平等や進歩を語るセテムブリーニの真っ当な論理が表面的な、スローガン的なものに響くのも事実だ。 国家と結びついたカトリックのありようから「政治的なるもの=カトリック的」とし、神と個人の関係を重んじるプロテスタントを「神秘主義」と評するナフタの言説は論理的ではなく、言葉遊びのようなものでしかない。本来必ずしも対立の位置にあるわけではないものをも二元論に落とし込み、肉体VS精神の拡張として健康VS病、道徳VS宗教という構図を描き出すナフタがどこまで本気なのか、主張が極端すぎてもはやわからない。カストルプ青年もすべてを本気には取りはしないが、セテムブリーニの反発と嘆きだけは本物である。
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年9月14日
    79〜121ページ ハンス・カストルプは、セテムブリーニの同宿人ナフタの激烈な主義主張に耳を傾け、一人の時間にそれを反芻し精神的な「陣取り」遊びにふける。 アナーキスト的に見えたナフタは、実際にはイエズス会士であり、その無政府主義・コミュニスト的な主張はすべて最尖鋭とでも言うべき徹底したキリスト教信仰に基づくものであった。すべての人間が神の子であった原始の状態に戻ること、私有財産と私欲の調整のために契約によって築かれた国家による支配を打ち壊すことを主張し、進歩なる名で呼ばれる私欲拡大の道具である機械工業や金融業の発展を徹底的に拒むその思想は、並ぶ提案自体はコミュニスト的であっても、出発点が人ではなく神、人間の尊厳や権利より神の正義が重んじられている点で共産主義とはまったく質を異にする。 質素な借間を豪奢に飾って暮らすナフタの、神の世界と自然科学的世界、精神と肉体を対立させて説くセテムブリーニ言うところの「淫蕩な」二元論、極端で先鋭的な主張は、カストルプ青年には胡散臭さと同時に力強い魅力も感じさせる。「外見は論理的だが、本質は混沌そのもの」と評されるナフタ、イエズス会士の長老になる直前に病のため療養地へ転地することになったナフタを、カストルプ青年は精神と病の結びつきという実験採択的視点から興味を持って眺め……その結果についてはこの先で、ということだ。一見難解な議論が続くだけの章だが、起きていることはスリリング。
  • ケイ
    ケイ
    @flyingkei
    2026年9月9日
    今日から下巻突入。 冒頭〜79ページ 狂乱のワルプルギスの夜から時は流れ、ダヴォスにも遅い春が訪れている。カストルプ青年のベルクホーフでの滞在も丸一年となり、相変わらず従兄ヨーアヒムと日々の療養に努めているが、一方でショーシャ夫人のようにサナトリウムを去る人々もいる。ベルクホーフを去ったうちの一人、セテムブリーニはふもとの街で部屋を借りて暮らし始め、カストルプたちはその同宿人ナフタと知り合う。 人類の進歩と世界平和の絶対的価値を信じ、リベラルかつ愛国心に基づく共和主義者でもあるセテムブリーニに対し、二元論者のナフタは国家を否定し唯一なる神の国の実現を説く一種のアナーキストである。単純無垢な青年の貌で彼らの話を無邪気に聴くカストルプ、彼を教導しようとする二人の「師」。カストルプ青年は二人の言葉をどう受容しどう受け流すか、自身の実験採択をどんな方向へと深めていくのか。思考、思想が語り手の人間性と絡み合いながらカストルプ青年に様々な影響を与えていく。スリリングな下巻のスタート。
  • ふぁるく
    @meet_517
    2026年7月16日
    ちょっとずつ読む
  • 重力
    重力
    @DaDa
    2026年6月22日
  • ハルノ
    ハルノ
    @kartio217
    2026年5月23日
  • つぐ
    @tug___read___tug
    2026年5月12日
  • ハルノ
    ハルノ
    @kartio217
    2026年4月13日
  • Pha3
    Pha3
    @Pha3
    2026年3月24日
  • yassh
    @akr1217
    2026年3月15日
    ヨアヒム・チームセンが死んでしまった時の喪失感。ハンス・カストロプは6年間何を思っていたのか。通勤時聴くのに最高なので、2周目に入ります。
  • sataka
    sataka
    @satakan_443
    2026年3月14日
    長かった。普段の読書とはまた違う、魔の山という体験だった。読み終えたという経験自体がそのまま価値である、そんな感じの本。
  • Pha3
    Pha3
    @Pha3
    2026年3月6日
  • グミチャン
    グミチャン
    @gumicyan
    2025年12月10日
  • monado
    monado
    @kiroku_library
    2025年6月19日
    Audibleではひとまず読了
  • monado
    monado
    @kiroku_library
    2025年4月23日
  • お茶づけ
    @ochazukeoic
    2025年3月28日
  • ネギ味噌
    ネギ味噌
    @ccchhh_2222
    2025年3月10日
  • ゆきお
    @yukio_books
    2025年3月7日
  • えみ
    えみ
    @caleidoscopi0x
    2025年3月6日
  • sigu
    sigu
    @sigu
    2025年3月1日
  • 服部雄也
    服部雄也
    @yuya
    2025年2月2日
    議論系の作品が好きなので意外とはまった ドストエフスキーが好きなのもそこらへん
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