めい "チア男子!!" 2026年9月14日

めい
めい
@meiji_chan
2026年9月14日
チア男子!!
チア男子!!
朝井リョウ
朝井リョウが好き、と言っておきながら、『何者』以降の長編ばかり読んでいた。そもそも『何者』の鋭い言葉と、本の中から手が伸びてきて「お前のことだよ!!」と怒鳴りつけてくるような読後感に感服して震え上がって以来、『死にがいを求めて生きているの』では目的と手段が逆転する人間の脆さを身につまされる思いで読んだし『スペードの3』ではどうしてこんなに女を描けるのだろうと震えたし、『正欲』ではどちらかといえば公平で理知的だと思っていた自分自身の浅さと愚かさと傲慢さを思い知らされたし、『生殖記』は自分の中にある怒りや悔しさをそのまま言葉にされていた。長編ではないが『ままならないから私とあなた』の言葉選びのうつくしさに固まってしまった。そしてエッセイ3部作で赤裸々にうんこをもらしたことを書いており、「のうみそが2つある!!この人!!」と衝撃を受け、大好きになってしまったのだ。今でこそSNSでチッケムが(本当に何?)バズったり作品のみならずご本人も人気を集めているが、私は朝井リョウ古参、古参なのである。バズる前からずっと彼の文章をこんなにも愛しているのである。直木賞の候補になった頃から!!獲る前から!! でも、朝井リョウとの出会いは大学一年生の秋。同じ大学の同じ学部の先輩に有名な小説家がいる、というのは知っていたが、何を書く人なのかは大学の購買で平積みされた『チア男子!!』を見て知った。うちの学生なら知らない人はいない、あのチャラくてすごくてなんだかイケ散らかしている男子チア部のことを書いた小説とのことで、当時は「フーン」だった。小説家くらいいるだろ、うちの大学なら。ああ、『桐島』の人、うちの先輩なんだ。読んだことないけど。へぇ、ショッカーズのこと?ショッカーズの人なのかな(違う。ダンスサークルである)。 19歳のインテリ気取りのイキった冷笑バカ娘だったわたしをぶん殴りたい。でも、19歳のインテリ気取りのイキった冷笑バカ娘だった当時にこれを読んでも、何一つよさはわからなかっただろう。 とにかく、眩しい。感動して、とか、悲しくて、とか、よかったね、とかではなく、ただただ眩しくて涙が出る小説を初めて読んだ。淡クリームキンマリの紙に黒い明朝体のはずなのに、すべてのページがぴっかぴかに眩しい。目が潰れるほどに輝いている。『何者』『正欲』のような、心に暗いものを抱えた人がこちらに語りかけてくるのが朝井リョウの作風だと思っていたのに、これは底抜けに前向きだ。ほぼ『ハイキュー!!』だ。 1つの競技に真摯に打ち込む大学生の、本気の楽しさ、焦り、嫉妬、信頼、悲しみ、見栄、向上心、悔しさ、恋心、友情、努力、勝利。なんであの歳で、こんなにも瑞々しく若者の心が描けたんだろう。著者がリアルに大学生だから、という理由では説明できないくらい、生の大学生の青臭くて泥臭くてまっすぐで素直な心が470ページずっと、これでもかと連なっている。19歳のわたしはこれを読んでも泣けなかったはずだ。まっすぐにありのままの19歳たちの物語すぎて、当事者にとっては「普通」すぎて、何も感じられなかっただろう。どうしてこれを21〜2歳で書けたんだろう。 正直、物語はシンプルだ。「新しく部活を始めて仲間を集め、頑張って全国大会に出る」という王道中の王道で、特別な展開も驚くような仕掛けも読者の価値観が揺らぐような「朝井節」もない。序盤はどちらかと言えばキャラ小説的(絶対に最初からアニメ化を狙ってただろ、と思うくらいアニメっぽいキャラの立ち方をしている)だし、エッセイの時のようなちょっと恥ずかしくなるような軽妙な言葉回し(「〜」とか「❤︎」とかを多用して、特に意味のないダジャレや下ネタが出てくる)が目立つし、小さな叙述トリックが朝井リョウらしいといえばらしいが、『何者』ほどの衝撃はない。でも、だからこそ、「朝井リョウの文章の技」が際立って味わえる。10行に1回くらいのペースで挟まれる独特かつ鮮やかな比喩表現とか、身体感覚を巧みに織り込んだ心理描写とか、1行1行がとにかくリアルで、生々しくて、体験的なのだ。30代の大人なのに、深夜の通勤電車の中なのに、読んでいると19歳に(しかも男子に)なってしまう。 リアルにあの大学で18歳からの4年間を過ごしていたときはわたしも「仲間と人前に出る」というのを本気で真摯にやっていた。飛んだり跳ねたり回ったり歌ったり踊ったり、ケガするリスクを抱えながら、バイトをしながら、授業に出ながら、それでも自分たちが本気でパフォーマンスすることが誰かの心を動かせると、本気で信じてやっていた。本気でぶつかって本気で悔しくて泣いて、一回の本番ごとに「これで死んでも悔いはねえ」と本気で思って、本気で命を燃やしていた。就活でも将来の仕事でもなんの役にも立たないことなのに、そうとわかって、命を使わずにはいられなかった。本番中のどこまでも飛んでいけそうな快感、仲間と目が合う安心感、終わってしまう寂しさ、本番前の震えるような高揚感、練習中の衝突や歪み、何度やってもできないことへの絶望感、成功した時のむしろ戸惑う感覚、家族の「わかってくれない感」へのフラストレーション、練習後のお酒(「金色の二酸化炭素が、喉を暴れながら滑走していく。」この文章よりも練習後のビールの美味しさを表せる文章なんてないと思う!)そして一年生の春、「そこ」へ足を踏み入れた時の「なんか、変わりたい」という漠然とした希望。わたしのこれまでの人生で一番必死に輝いていた、一番バカだった、一番クズだった4年間を、全部全部、朝井リョウが書いていた。2010年に。刊行が2010年ということは、わたしがまだ何も踏み出していない時点で既に、朝井リョウは全部書いていた。たった2学年上の先輩が書いていた。どこからどう見ても母校すぎる描写とか、ハルのバイト先が学生バイトの定番のあの店だとか、絶対に文学部キャンパスの近くのあの公園だとか、学祭のステージだとか、そういう細かさも相まって、「19歳、大学生、男子チア部の俺」が自分の中に「再現」されてしまうのだ。 いい小説は、読んだ人が「これは私の小説だ」と思うことができるらしい。それならこれはまぎれもなく、わたしの小説だと思わせてくれた。大人になってから読んでよかった。
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