
だむ
@p0se1-d0n
2026年9月14日

存在と苦悩
ショーペンハウアー,
金森誠也
読み終わった
「存在と苦悩」。
これだけでおなか一杯になりそうだ。
本書はショウペンハウアーの主著「意思
と表象としての世界」をはじめいくつか
の彼の著作から文章を抜粋し一冊に編ん
だ抄本だ。
おそらく出発点は「この世界は私に映っ
た表象だ。」ということ。
そこらから死や宗教や芸術等個別のテー
マを論じていく(というかダイジェスト
だからそのように編集されているわけで。
以下それが前提となる)。
少なくともそうしたテーマは彼が把握し
た生や世界を描き出すための「観念的
土俵」ではあるはずだが、読んでいる
こちらにしてみると、むしろ彼の横顔
が、人となりがしきりにちらついて
くるような気がする。
カントやヘーゲルに比べてショーペン
ハウアーの評価は総じて低い位置に
置かれているように思われるけど、こ
のことが彼の低評価に微妙に関係するの
ではないかというのが私の感想。
安易な言い方だけど彼の「観念的土俵」
を論ずる文章は文学的だ。
トーマス・マンは述べている。
「(ショーペンハウアーがこの生の苦し
みを説くとき)彼の文章上の天才が、最
も輝かしく、しかも最も冷厳な完成の
頂点に達した」(訳者あとがきより)。
彼の文章には傾きがある。「死」につい
て語るときには「自殺」に、「宗教」に
ついて語るときには「禁欲」に、そして
「芸術」について語るときには「なぐさ
め」にそれぞれ「寄せて」書いている。
総じて「土俵」であったものがエッセイ
風に語られて主題と化しているような
趣がある。
これは抄本という本書の性格によるとこ
ろが大きいけれど、自殺・禁欲・なぐさ
めを言い換えれば、否定・我慢・埋め合
わせに他ならない。とどのつまりは
「生」それ自身が苦しいのだ。
(そしてこのとき実は次元が変質してい
る。―後出)
トーマス・マンやワーグナーが彼を
崇拝したのも「さもありなん」という
気がする。
そして「哲学書」を手にとろうとする
ような近現代日本の生活者一般にとって、
ここは受け入れ易いところだったろう。
(つづく)