shun1
@shin1y
2026年9月15日
儚い羊たちの祝宴
米澤穂信
読み終わった
どの話も気味が悪くて面白かった。特に印象に残ったのは「山荘秘聞」「玉野五十鈴の誉れ」「儚い羊たちの晩餐」。
この作品の気味悪さは、単に残酷な事件が起こることよりも、登場人物それぞれが持つ一つの価値観への極端な傾倒にあるように思う。
守子は山荘を守ることに、五十鈴は忠誠に、夏は料理に、そして鞠絵は自分の計画に。それぞれ単独でも十分に異常なのに、その異常性が別の人間の異常性と交わることで、とんでもない事件が引き起こされる。それでも唐突には感じない。むしろ人物の性質を知れば知るほど、「この人たちが出会ったのなら、こうなるしかなかった」と思えてしまう。その妙な納得感が怖く、同時に面白かった。
中でも鞠絵には不思議と共感するところがあった。それぞれの人間の思惑や性質を理解したうえで、自分ですべてを決めるのではなく、望む結末が起こる確率をある程度まで調整し、最後は成り行きに委ねる。最悪の結果も可能性として含んだまま、人間同士の作用に任せる姿勢が印象に残った。
そして事件そのもの以上に心に残ったのが、バベルの会と「夢想」の話だった。
作中では、現実を現実として生きられる「実際家」にはバベルの会など必要ない、という趣旨のことが語られる。一方で、誰しも何らかの夢想を拠り所にしている。
小説、ゲーム、SNS、宗教、旅、推し活。形は違っても、現実そのものではない何かに意味を見出すことは、現実を生きていくために必要なのだと思う。そう考えると、バベルの会は特殊な人々だけの奇妙な集まりではなく、人がいる限り、名前や形を変えてどこにでも生まれるものなのかもしれない。
もちろん、何かに傾倒しすぎれば身を滅ぼす。本作はまさに、その夢想が現実を侵食するところまで肥大化した人々の話でもある。
ただ、それなら常に距離を取り、バランスを取り、俯瞰して生きることが正解なのかというと、それも少し違う気がする。自分を失わないよう冷静であり続ければ安全ではあるけれど、その代わり、何かに我を忘れて熱中する幸福も得られない。
身を滅ぼさない程度に夢想するのが賢い。でも、身を滅ぼしかねないほど何かに傾倒できる人の方が、もしかすると幸せなのかもしれない。
そんなことを考えてしまうと、バベルの会を単なる狂人たちの集まりとして切り捨てる気にはなれない。
できることなら、自分もどこかにある退廃的なバベルの会を見つけてみたい。