masaya
@masaya
2026年9月16日
旅をする木
星野道夫
読み終わった
▪︎早春
クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが満え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたなら、それは何とつまらぬ自然なのだろう。
▪︎ルース氷河
何もないとの世界では、食べて、寝て、出来る限り暖かく自分のいのちを保ってゆくことが一番大切なのだ。わずか一週間でさえ、本当に単純なことに立ち止まってみるのもきっと良いことだ。
子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり男気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。
▪︎もうひとつの時間
まだ幼かった頃、近所の原っぱで紙しばいを見終えた後、夕どはんに間に合うように走って帰った夕暮れの美しさは今も忘れない。あの頃、時間とか、自分をとりまく世界を、一体どんなふうに感じていたのだろう。一日が終わってゆく悲しみの中で、子どもながらに、自分も永遠には生きられないことを漠然と知ったのかもしれない。それは子どもがもつ、本能的な、世界との最初の関わり方なのだろうか。
ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。
▪︎アラスカとの出合い
ある日、東京、神田の古本屋街の洋書専門店で、一冊のアラスカの写真集を見つけた。
たくさんの洋書が並ぶ棚で、どうしてその本に目が止められたのだろう。まるでぼくがやってくるのを待っていたかのように、目の前にあったのである。
人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。
▪︎16歳のとき
多くの選択があったはずなのに、どうして自分は今ここにいるのか。なぜAではなく、Bの道を歩いているのか、わかりやすく説明しようとするほど、人はしばし考え込んでしまうのかもしれない。誰の人生にもさまざまな岐路があるように、そのひとつひとつを遡ってゆくしか答えようがないからだろう。
終着点としていたサンフランシスコにたどり着いた日、特大のハンバーガーとコカコーラで、ぼくは自分自身に乾杯をした。心の筋肉というものがもしあるならば、そんなものをふつふつと身体に感じていた。
今振り返ってみると、十六歳という年齢は若過ぎたのかもしれない。毎日毎日をただ精一杯、五感を緊張させて生きていたのだから、さまざまなものをしっかりと見て、自分の中に吸収する余裕などなかったのかもしれない。しかしこれほど面白かった日々はない。一人だったことは、危険と背中合わせのスリルと、たくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた。
が、ぼくは現実の世界を生きていたわけではなかった。旅を終えて帰国すると、そこには日本の高校生としての元の日常が待っていた。しかし世界の広さを知ったことは、自分を解放し、気持ちをホッとさせた。ぼくが暮らしているここだけが世界ではない。
さまざまな人々が、それぞれの価値観をもち、遠い異国で自分と同じ一生を生きている。
つまりその旅は、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を初めて与えてくれたのだ。それは大きなことだった。
▪︎アラスカに暮らす
寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。
離れていることが、人と人とを近づけるんだ。
▪︎生まれもった川
深く老いてゆくということは、どれだけ多くの人生の岐路に立ち、さまざまな悲しみをいかに大切に持ち続けてきたかのような気がする。
▪︎カリブーのスープ
人間と自然との関わりを本さに明解するとはできなふのみではないだろうか、人はその土地に生きる他者の生命を使い。そのを自分の中でさら加入れることで、より深く大地と選なることができる。そしてその行為をやめたとき、人の心はその自然から本質的に離れてゆくのかもしれない。
▪︎ある家族の旅
二十代のはじめ、親友の山での遭難を通して、人間の一生がいかに短いものなのか、そしてある日突然断ち切られるものなのかをぼくは感じとった。私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、嘘い、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた。
▪︎エスキモー・オリンピック
英語で“it made my day””という言い方がある。つまり、そのわずかなことで気持ちが膨らみ、一日が満たされてしまう。人間の心とはそういうものかもしれない。遠い昔に会った誰かが、自分を懐しがっていてくれる。それは何と幸福なことだろう。
▪︎シトカ
時おり誰かがここにやって来ると、自然の中で何てすばらしい生活をしているのかと感動するのね。でも一週間もしたら、皆耐えられなくなってしまう。淋しさとか孤独にね…・・・・じゃあ私がそうでなかったのかというとそんなことないのよ。それは痛いほどの孤独と向き合わなければならない。でもある時、そこを一度突き抜けてしまうと不思議な心のバランスを得ることを見つけたの。
▪︎夜間飛行
もう何人もの知り合いのブッシュ・パイロットが死んでいた。彼らの多くは本当に腕のいいパイロットだった。しかしこの土地では、腕の良さが事故を避けられるとは限らない。彼らは毎日のようにアラスカの自然の中で飛び続けているのである。たった一枚の悪いカードをいつ引いてしまうのか、ただそれだけのような気もする。遅いか早いか、悲しいけれどもそんな気がする。なぜならば、その悪いカードとそが、アラスカのブッシュ・パイロットがどこかでこの土地に魅きつけられているものなのだ。
けれども、そのカードを無意識のうちに避けることができるパイロットがいる。飛行技術などとは関係ない、そして判断力とも少し違う、その人間のもつ微妙な資質のようなもの。その見えない何かをドンはもっている気がした。それはまた大きな意味での運というものと関わっているのかもしれない。
▪︎ワスレナグサ
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。