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masaya
@masaya
  • 2026年5月21日
    高架線
    高架線
  • 2026年5月21日
    動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか
  • 2026年5月21日
  • 2026年5月19日
    本心
    本心
  • 2026年5月10日
    歩くと心が軽くなるのはなぜか
  • 2026年5月2日
    人文知は武器になる
    人文知は武器になる
  • 2026年4月28日
    ビジュアル・シンカーの脳
    ビジュアル・シンカーの脳
  • 2026年4月24日
    知的生活の方法
  • 2026年4月6日
    歩き旅の愉しみ
    歩き旅の愉しみ
    歩くことは、強い意味で「存在する」ことだ。 それは”存在する(exister)”の語源である"ex-sisteresが、「決まった場所から遠ざかる」「自分の外に出かける」という意味であることからも想起される。小径や散策路を探し求めて歩くのは、現代のポストモダン社会の基本的な価値に対する一種の「揶揄」でもある。 ひとつの道は必ず別のいくつかの道に通じ、その道はさらに別のいくつかの道につづくが、どの道に進むかは、どこまでも旅人の主体性にゆだねられている。ひとつの大陸上に何本もの道が巨大な蜘蛛の巣を張り巡らせ、その糸は絡み合い、数えきれないほど交差する。道行く者は何千回となく、どの道に進むべきか決めなくてはならない。あちらの道よりもこちらの道がいいと選びながらも、その道がどこに向かうかはわからない。選ばなかった道は、二度と姿を現さないだろう。交差点は、異なる方向に向かう二本か三本の道が交わる場所というだけではない。そこでは、どちらに進むかを選択し、チャンスをつかんでみせるという強い意志を示す必要がある。 あるルートを選ぶことは、ほかのすべてのルートを無視することだ。それでもやはり、見捨てたルートに進んでいたら、どこに向かっただろうかと、一末の哀愁のようなものを感じる。もしこの道を進んだなら、人生を輝かしいものにしてくれる何かに出会えたかもしれない。もしあの道を行けば、最悪の状況に突き進んだことだろう。いやいや、そんなことはなかっただろう、などと。 私たちの人生は、実現したことよりも、逃した幸運のほうがずっと多い。どんな選択にも、犠牲がともなう。ほかの道でなくこの道を進むと決めたために、何を失ったのか。いかにも素晴らしそうに見えたほかの目的地でなく、この目的地に行くと決めたがために、何を失ったのか。あるいは何を得たのかは、決してわからない。 ひどく迷って危険な状況に陥っている人を除き、GPSは歩き旅の哲学に反する。GPSは道をルートに変え、道そのものよりも目的地を優先させ、道を解体して単なる味気ない通路に変えてしまう。GPSは自然の詩情あふれる風景を消し去り、道の情報を一連のデジタルデータに変換する。しかもデータが表示される画面を見つめることで、周囲の風景や雰囲気を気にも留めなくなる。GPSは移動を「道という概念を失くしたユーティリティ」に変えてしまい、もはや道に迷うことはなくなる。道を尋ねたり、思いもかけない場所を見つけたりすることもない。あらゆる空想を徹底的に排除して、ルートを進むのは「ひたすら画面を見つめる目」が行うからだ。自分で進む方向を決める満足感は消え失せる。進む道はモデル化され、歩く者は受け身になり、何も率先して行おうとはせず、ツールの指示に従うだけだ。もはやほかの通行人と力を合わせることなどなく、誰もが他人に無関心なまま、自分の「泡」の中に閉じこもる。 そのうえ地図や直感に頼るのをやめてGPSに任せれば、経路を記憶しようとしなくなり、画面にばかり注意を向けて、周囲の風景に目を向けなくなる。空間が立体感のないイメージで表示され、目的地までの一区画しか把握できない。 リュックは、要するに、背後に残してきた住まいの象徴だ。旅の途上で無防備にならないために必要なものが入っているだけでなく、我が家にはほかのもの、持ってくることのできなかったものがすべてある、ということを思い出させてくれるのだ。 日本人の宇宙観によると、人間は自然の中に含まれている。人間は自然の構成要素のひとつだが、支配する立場では決してない。岩山、滝、木、天変地異などの中に宿るパワー、それが神であるととらえる。富士山は、その最も生き生きとした表出だ。自然は無気力ではない。自分なりのやり方で呼吸をし、見て、聞いて、感じて、人が通れば目を覚ます。 このようなアニミズム仰においては、人間の務めは周囲の環境の秩序を乱すことなく、調和しながら生きることだ。
  • 2026年4月6日
    NATURE FIX  自然が最高の脳をつくる
    NATURE FIX  自然が最高の脳をつくる
    おもしろいことに、わたしたちは周囲の状況の情報を収集する能力に、制限を設けている。そうしないと脳が大量の刺澈に圧倒されてしまうからだ。それに、人間の視野は肩じられないほど狭い。聴覚もさほど鋭敏ではない。そのうえ見たり聞いたりしたことのほとんどは処理されないまま放置されている。それなのに人類がこれはじ素楽してきたのは、自動的に優先順位をつける能力がきわめてすぐれているからだ。 「戦略的なプロセスなんですよ。道が混んできたら、脳はラジオを聴くのを文字どおりやめる。ラジオを聴くという行為はいわばシグナルを受信しているだけだから、会話とは違い、シャットアウトできるんですよ。ところが、あなたがご主人と電話で話をしている最中に、ご主人の声を完全に聞かないようにするのはむずかしい」だから携帯電話で話していると、信号や標識や歩行者にすばやく反応できなくなる。ツイッターやメッセージやメールを使っている人なら経験があるだろうが、ソーシャルメディアの情報にはつい注意を惹かれてしまい、シャットアウトするのはむずかしい。 「問題の鍵を握っているのは、注意力なんだよ」助手席に座っているポールが身をよじってこちらを向き、説明を始めた。「注意力がなければ、人は見ることも、聞くことも、味わうこともない。いっぽう脳は、一度に四つの物事に注意を向けることができる。ではどうやって重要なものとそうでないものを見分け、優先順位をつけていると思う?それはね、抑制機能を駆使しているからだ。脳でいちばん発達しているのは、抑制機能をつかさどる回路なんだよ。じつに興味深いだろう?脳は処理しきれないほど大量の情報を入手している。だから脳の仕事の大半は、情報を選別し、不要なものを排除することなんだ。そのおかげで、ぼくたちは意味のあることに集中できるというわけさ」 どんな環境で活動していようと、人間の脳のなかでは三つの主要な神経回路網が機能している。ひとつめは実行ネットワーク。集中して知的作業を行なう前頭前野などが、刺澈への対応と行動の抑制を実行する。ふたつめは空間知覚ネットワーク。これによって人間は自分の位置を把握し、その名のとおり空間を知覚する。三つめはデフォルト・ネットワーク。これは実行ネットワークの活動が低下しているときに活動を始める。この三つのネットワークはいわば陰と陽、水と油であり、それぞれが対立する。つまり、どんなときでもどれかひとつのネットワークだけが活動しているのだ。 信じる力をあなどってはならない。 どうやら「フレッジュ」という考え方が鍵を握っているらしい。イギリスの音響コンサルタンも、ジラリアジントレジャーによれば、朝、鳥のさえずりを耳にすると、人はその音を注意が行き届いて安全な状態と結びつけ、きょうもすべてこの世は事もなしと感じる。人間は進化の過程で、鳥のさえずりをそういった意味で解釈してきた。 人間は視覚の生き物である。 近視の人と近視ではない人のほんとうの違いは、戸外ですごす時間の長さだということだ。日光が網膜にドーパミンの放出をうながし、その結果、眼球が楕円体になりにくくなるからだという。屋内と屋外の光は性質がまったく違う。曇りの日でさえ、屋内より屋外のほうが一〇倍も明るく、広範囲のスペクトル(波長域)の光が存在する。 人生でなしとげたいことのリストを後生大事にして、制覇した山々の記録をつけ、雄大な自然の絶景を写真におさめる。それはもっぱら個人行動の記録だ。 アルコックいわく、幸せになりたいのなら、科学に裏づけられたシンプルな条件を満たせばいい。「結婚をして、仕事を得て、海のそばに住むことだ 一日に四〇分間、ゆったりとしたペースでウォーキングを続ければ、加齢による脳の認知機能の衰えを防げるうえ、実行機能と記憶力が向上し、判断力と行動力のスピードが増すという研究結果だった。 ダーウィンは、人類の最強の本能は共感や思いやりだと言った。こうした本能があるからこそ、人類は生き延びられたのだと考えていた。互いのことを気にかけ、世話をしあうことで、長い子ども時代も、病気になったときも、食料難に見舞われたときも、なんとか生き抜けたのだ。 数千年前から、人類だけが、あるいは人類の一部が、自然の力とより密接につながって、心身を癒やそうとしてきた。彼らが戸外に足を運んだのは、切実になにかを必要としていたからだ。 その後も繰り返し自然のなかですごしたのは、必要としていたものがそこにあったからだ。求めていたのはスピリチュアルなものかもしれないし、人との交流かもしれない。気持ちの深いところでじつに人間らしい複雑なものを求めていて、それはグラフではあらわせないのかもしれない。 「結局のところ」と、地平線を眺めながらストレイヤーは言った。「こうしてわざわざ自然に触れるために出かけてくるのは、そうすればいいことがあると科学者が言っているからじゃない。気分がよくなると実感しているからなんですよ」 四方を壁で囲われた部屋でじっと座り、胸に秘めた思いを打ちあけるのは、苦行のようなものだ」と、シャイフェルドは言う。「大自然のなかに身を置いているうちに、ごく自然に心情を吐露できるのがいちばんいい。自然には人をそういう気持ちにさせる力がある」
  • 2026年4月3日
    君の不在の夜を歩く
  • 2026年3月8日
    欧州カフェ紀行
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  • 2026年3月1日
    外の世界の話を聞かせて
  • 2026年2月14日
    建築と触覚
    建築と触覚
  • 2026年2月7日
  • 2026年2月7日
    人間がいなくなった後の自然
    人間がいなくなった後の自然
  • 2026年2月2日
    哲学者たちの<ほんとう>の仕事
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  • 2026年2月1日
    感情労働の未来
  • 2026年2月1日
    「頭がいい」とは何か
  • 2026年2月1日
    スプートニクの恋人
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