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masaya
@masaya
  • 2026年8月25日
    ノー・ファンタジー
    人生における要石のようなものだった。 いい感じのくたびれ方。ちゃんと時間をかけてかけてできた、ちゃんのしたダメージジーンズみたい。 自分にがっかりすることが何よりも僕にとってはいつかった。 まっとうってことだね。 いつか、どこかでやったこと。それに似たこと。 引き返すことができないからこそ出口なのだから。 時間は我々の背中を押す。出口へと。 安全すぎる。定期的に自分をリスクにさらす必要がある。 王たるもの、聖地へ巡礼に行くか、よりこんな探究に出るか。そのどちらかをしなければならない。 完全な自由は不自由にも似ている。 彼女が欲したのは何かの摩擦だった。彼女は何かを諦め、ただ漂うだけの存在になりつつある自分に変革をもたらそうとしたのだ。
  • 2026年8月2日
    影まで愛して
    影まで愛して
  • 2026年8月1日
    ウォークス
    ウォークス
  • 2026年8月1日
    MIDNIGHT PIZZA CLUB 1st BLAZE LANGTANG VALLEY
    MIDNIGHT PIZZA CLUB 1st BLAZE LANGTANG VALLEY
    旅を充実したものにするための鉄則は、一にも二にも早起きである。早い時間に動き始めることで、一日中焦らず行動できるし、天候が崩れるのは大体午後だから晴れている時間を有意義に使える。それより何より、朝というそれ自体が素晴らしい。 どこかで自分の安全を願ってくれている人がいることには大きな意味がある。私たちは他者の願いに応えたいと思う動物である。だから、誰か の願いは力になる。心が折れそうになる時、もう一踏ん張りさせてくれるのは誰かの願いに他ならない。 自分が本当に欲しているものは、手に入れてみないとわからなかったりするから難しい。 私は阿部ちゃんのことを羨ましく思った。私だって、走り出したいな、飛び上がってみたいなと思ったのだ。 しかし、私はすっかり調教されてしまっていて、欲求と行動との間にいくつもの障壁が立てられている。まるで会社でボールペンを一本買うために上長のハンコリレーを進めていかなければならないようにナンセンスだ。走りたいと思ったら走れば良いのに、ハンコリレーをしているうちにその欲求は製み、すり減り、いつの間にか霧散してしまう。自分が自分で手に入れた、せっかくの欲求だったのに。阿部ちゃんはそのハードルを持ち合わせていない。やりたいと思ったら考える前に体が動いている。短兵急な男。やりたくないと思ったら頑なにやらない。すごく健康的だし、人生を正しく楽しんでいるように見える。 道には常に意味がある。 無意味に人間を迂回させる道は使われず、桁ちていく。 「あったらいいかも」をどれだけ削っていけるかが旅における腕の見せ所である。 しかし、頂上を踏まなければ帰れないような気持ちになっていた。素人が遭難する時の、典型的な心理状態だ。 完全に安全な場所はない。あらゆる土地に固有のリスクがあり、リスクの少ない土地には人間が集まり、人間が集まればそこには新たなリスクが生まれる。 ただ生きる。生き抜く。命を繋ぐ。それだけで素節らしい。もちろんそうだと思う。けれど私たちは飽き足らない。ご所に腰を据えて、身の国りの喜びだけを丁寧に享受する生き方を、私たちは知らない。だからどうしても、旅に出たくて仕方がない。 何一つとして、思い通りにことは運ばなかった。それでも、ままならなかった時間こそが、私たちの旅を私たちだけのものにしてくれる気がする。
  • 2026年7月26日
    歩くという哲学
    歩くという哲学
    山歩きに自信のある人は、必ずゆっくりと登ってゆく。速さの対極にあるゆっくりではない。ただ、ペースが一定で、均一であるということだ。 スピードの幻想とは、それで時間を稼げると思い込むところにある。計算は一見単純に思える。三時間の代わりに二時間ですむのなら、一時間得をする。それが抽象的な計算にすぎないのは、ある一時間と別の一時間は完全に等しくはないからだ。 急いでいる時、時間はどんどん速くなる。時間が飛び去る、ということは、急いだその二時間のために、結局、一日の長さが短くなるということだ。時間を細かく分割して、その中をやたらと理めようとしてみても、一瞬一瞬は触れ散ってしまう。詰め込みすぎれば、飽和するのだ。 歩いて過ごした一日は、もっと長い一日に感じられる。そういう日には、いつもより長く生きた思いがする。時間の継ぎ目に無理な力をかけず、どの一時間にも、どの一分、どの一秒にも、それそれがゆったりと呼吸できるように、奥行きを持たせたからだ。急げば、時間ははち切れてしまう。 ゆっくりやる、ということは、時間に寄り添うことだ。一秒一秒が、粒となって感じられるほどに。 1瞬一瞬が、露となって結ばれてゆく。小雨が石へと降りかかる時のように。時間がそんなふうにゆるやかに引き延ばされる時には、空間にも深さが宿る。 歩くことの秋密とは、それなのだ。 つまり。定識や飲料の選択肢がごく限られていること、その時々の天候をただ受け入れることしかないこと、規則的に動いてゆく自分の足以外にはなにひとつ頼りにできないこと、そうしたことのおかげで、不意に、ふだんはどれだけ過剰な供給(商品の洪水、無数の交通網、おびただしいネットワーク)に晒されていたかが見えてくるのだ。どれだけ利便性ばかりが追求され、どれだけそれらへの依存症(通信手段においても、買活動においても、移動手段においても)が生みだされているのか。選択というミクロな自由は与えられているが、それらはみな、システム全体を加速させることに資するばかりで、わたし自身はさらにがんじがらめにシステムに囚われてゆく。わたしを時間や空間から解放するものは、わたしをスピードの支配する世界へと追いやっているのだ。苦労して岩のてっぺんに登り詰め、腰をおろしてから、ついに風景を見渡してみる。眼下に広がるすべての農地、家々、森、小道。何もかもすべてが自分のもので、自分のためにそこにあるかのようだ。登ってきたことで、それらを手中に収めたのだ。あとはその喜びを味わうだけでよい。世界を手にした者が、孤独など感じるだろうか?見ること、見下ろすこと、そして見つめることは、所有することだ。しかも、所有にまつわる一切の煩わしさもない。まるで世界を盗んだかのように、その景色を楽しむ。いや、盗んだなどとは言うまい。そこまで登ってくるために、自分で努力したのだから。見晴らすかぎり遠くまで、ずっとはるかな彼方まで、それらはわたしのものだ。わたしはひとりではない。世界はわたしのものであり、わたしのために、わたしと共にある。 散歩の秘められた効能は、このように精神が開かれて、「空いた」状態に置かれることであるが、これは、とかく拘束やこだわりに囚われがちな現代生活において、きわめて稀な状態といえる。 「空いた」状態にあるということは、受動と能動の入り混じった、あの幸福な調和が実現されているということなのだ。魂は、誰に対しても申し開きをする必要がなく、一貫性を迫られたりもしない。世界は、深刻な顔をした系統立った観察者に対してよりも、そのような無償のれの中にある散歩者に対してこそ、そのまったき姿をあまさず見せてくれる。 だが、そうした発見や喜びを得ようとして、散歩がひとつのメソッドでもあるかのように生真面目に散歩に取り組んでみたところで、まずうまくはいかないだろう。そうした発見を得ることができるのは、春の日差しに誘われて、やりかけの仕事もほっぽらかしにして、とりあえず先のことは考えない、という誘惑に喜んで屈した者だけなのだ。そのようにしてみて初めて、そのひとときは無償のものとなり、生の軽やかさを思い出し、魂が、世界と自分とのあいだに自由な調和を見いだす時の甘美さを味わえる。 歩いている人は、とにかく足を動かさねばならないため、とりあえず前へ進んでゆく。それは世界そのもののように、当たり前の真理である。その単調な運動が人を解放する。あれについて考えろとか、これについて考えろとか言われることもないし、ああ考えるべきだとか、こう考えるべきだとかいうこともない。ただ身体的な努力を繰り選しているだけで、精神に一空き」ができる。そうなった時に初めて、ものを考えられる。
  • 2026年7月25日
    ネイチャー・エフェクト
    ネイチャー・エフェクト
  • 2026年7月20日
    地球再生型生活記
  • 2026年7月20日
  • 2026年7月2日
    プレゼント
    プレゼント
  • 2026年6月20日
    明日の恋人たち
    明日の恋人たち
  • 2026年6月20日
    たぶん、恋しい
  • 2026年6月12日
    多類婚姻譚
    多類婚姻譚
  • 2026年6月1日
    本の読み方
    本の読み方
  • 2026年5月27日
    タイム・アフター・タイム
  • 2026年5月21日
    高架線
    高架線
  • 2026年5月21日
    動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか
  • 2026年5月21日
  • 2026年5月19日
    本心
    本心
  • 2026年5月10日
    歩くと心が軽くなるのはなぜか
  • 2026年5月2日
    人文知は武器になる
    人文知は武器になる
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