
頑な鰯
@katakuna_iwashi
2026年9月17日
増補 ネガティヴ・ケイパビリティで生きる
朱喜哲,
杉谷和哉,
谷川嘉浩
読んでる
@ カフェ
p.106あたりから
・「私たちの疲労」‥ビンチョル・ハン『疲労社会』から引用。和解や合意に至るためにはいったん疲れないといけない(必要疲労といえそう)。ここでいう「私たち」は、あらかじめ成立している仲間ではなく、同じトラブルや対立のなかにたまたま含まれた人たちみんなを指す。
p.118-アテンションエコノミー
・『魔女の宅急便』を例に挙げ、苦難や不幸は視聴者のためにある訳ではないと説く。当事者が困難を解決するプロセスをエンタテインメントとして消費することに対する違和感。結果的に当事者を縛ることとなる。
・共感について、それがもつネガティブな側面にも着目する。相手を理解したいと思うとき、手頃な共感で何となく処理するのではなく、「私はわかっていないのかもしれない」「理解しきれていないかもしれない」と考えることが必要。アテンションエコノミーは実際のところ互いに深く理解しようとしていないように見える。
・応援や推しに対する注目や期待は暴力的なところがある。期待によって人を縛ってしまう。
・アテンションエコノミーのなかで反射的に引っ張られてきた人たちからは、飽きられたりがっかりされたりするし、すぐに感情的な反発を抱かれたりする。短期的にはよいが、持続しないという構造的欠陥を抱えている。
(所感)
・「私たちの疲労」の話。合意のために必要な疲労が省略されていると感じる。
・魔女宅をアテンションエコノミーの観点で考えるとグロテスクに見えてくる。推し文化のなかでも、推す対象には期待がかけられるため、結果的にその対象を縛ってしまうことになる。
また、苦難を解決するプロセスをポルノ的に消費することへの違和感にも共感し、身に覚えもある。例えば私は野球選手でもとくに苦労人を応援する傾向にあるが、それは苦難を乗り越えてレギュラーを勝ち取るというサクセスストーリーを期待しているからだ。その期待がある以上、現実とのギャップが生じた際に落胆することになる。
・アテンションエコノミーのなかで反射的に企業に寄ってくる人たちのことを思い浮かべていた。目の前の、イメージしやすい条件の良さを鵜呑みにして入社し、そのギャップに苦しむことになる。結果として互いにメリットが少なくなるが、そこまで中期的にビジネスを捉えている会社が(私が身を置く業界には)少ない気がしてならない。
