
みーる
@Lt0616pv
2026年9月16日
多類婚姻譚
凪良ゆう
読み終わった
借りてきた
結婚に関する短編集。
【Thank you for your understanding 】では、同性愛をテーマにした作品。「わたしの彼女」と言われて驚いてしまったということは自分の中にも恋人=異性愛であることが前提としてあったのだろう。最近よくある展開で食傷気味だったが、同性愛を受け入れ自分らしく生きていこうという展開にはならなかった。
母親の「それはあなたたちの傲慢」という言葉から繰り出される正論の数々。「自分たちのことを1番特別視しているのはあなたたち自身」。確かに、自分たちをわかってもらおうという気持ちが先行して、人と人同士の気遣いの面が抜け落ちていた2人。形式的な付き合いより自分たちに目が向いていた。「多様性だなんだの前に人と人」とSUPERBEAVERの「切望」の歌詞を思い出す。形式的な気の遣い合いに意味なんてないような気もするが、相手のことを考えて行動したり準備したりした想いは残る。自分に当てはめて考えても「それっている?」と思うことも多々あるが、形式的な付き合いがあってこそ深い付き合いにつながるのだろうなと思った。
一方で、2人の苦しさも伝わってきた。「異性が好きな理由を説明できる?」と父親に言い放ったセリフ。確かに、異性が好きな理由を説明できないし、同様に自分が同性が好きな理由も説明できない。当たり前のように好きなることに理由を求められても難しい。異性愛を「普通」と決めつけ、同性愛を「異端」とする風潮から段々と同性愛は「配慮してあげなければならないセンセーショナルな問題」と対応されることに対する歯痒さ。わかる側とわかってもらう側に住み分け、もちらんわかる側の立場が強い。その理由は多数派だからにすぎない。数が多いということはそれだけで強いときが存在する。わかってもらうことになることがわかっているから、話す土俵に身を置かない。秘密主義者だと言われていたが、そうならざるを得なかった苦しみがある。
それにしても、同性愛というテーマは難しい。小説や有名人ならば、そうなんだで終わるが、自分の身近な人ならそうはならないと思う。
やっぱり「普通ではない」という思いが出てきてしまうだろう。結婚→出産→子育て→次世代への一生のサイクルが当たり前となり、令和で多様性がどうのこうのと言われても、やっぱり街にはお父さん、お母さん、子どもの家族で溢れている。大きな視点で見れば、出産して次世代をつくることが人類存続のためのひとりひとりの役割となる。ということは、同性愛者はその一般化された見えないレールから外れたことになる。作中、2人は自分たちだけが幸せであればそれでいいと願うが、自分たちの幸せのために、人と人とが関わるための大切な気遣いが抜けてしまったという話。最終的にはハッピーエンドでよかった。母親が家に来たとき、「またか…」と思ったけれど、ここまで正論をしっかり言うとは…
昨今、取り上げられがちな同性愛の問題。それ以前の人と人との関わりの大切さに目を向けた素敵な短編であった。
【Beautiful Dreamer】では、田舎から都会に出てきた27才女性の葛藤が描かれる。最初こそ花織頑張りすぎだろ…と思っていたが、夢見て努力してその生活を手に入れている姿は素直に素敵だし、仕事もできる。ただ、やっぱり自分は東京生まれの恵まれた人たちよりも下の立場だと思っているからか常に有意に立とうとする姿が痛々しくも映る。彼氏の恵斗もきっと悪気がないんだろうが遅刻や突然のキャンセルは多い。育ちがいいから何に対してもおおらかで許された環境で育ってきたのだろう。決して花織を雑に扱っている訳ではないと思う。それでも2人がすれ違うのは前提となる生活経験が違いすぎるから。個人的に花織の立場だったら辛いのは途中、恵斗の友達カップルと夕食を共にする流れになったこと。2人も悪気はないのだろうが、自分なら「この人たちは世界の中心が自分だと思っている…」と感じてしまうだろう。花織はよくあの場の雰囲気に合わせたと思う。どうか花織は報われてほしい。そのために自分でつくった理想の自分でなくても充分魅力的だということに気づけるといいのだが。
【小鳥たち】が1番好きな雰囲気だった。なんというか越智くんも一葉も40を過ぎても悩んでもがいている。日々を懸命に生きている姿に心打たれた。「メンタルがやられると文字が読めなくなる。系統立てて考えることができなくなる」「贔屓の飯屋、贔屓の喫茶店、贔屓の飲み屋があれば日々はなんとかなる」不思議と心に残る言葉が多かった。自分はどんな40代になるのだろうか。20代のとき、31才はもっとずっと大人なように思えていた。でも、自分では20代のころとなんら変わっちゃいない。でも、世の中からの見られ方はなんとなく変わってきたように思える。後輩に子供がいたり、コンサートに行くと明らかに周りが若い子だったりする。自分だけ世の中から少しだけ取り残された感を覚える時がある。仲の良い友達も近くにはいない。ゆきちゃんがいるから自分が自分でいられるような、そんな気がする。子供がいなかったら思い切って突き抜けようと考えたりはするけれど、それは子どもができないかもしれないという可能性としてある未来から目を背けているだけだというのもわかっている。漠然した不安は日々付きまとう。が、「小鳥たち」に出てくる登場人物は皆、なにかうまくいかなかった人たちだ。それでも何も思わないどころか、懸命に日々を生きていて凄いと思う。生き方はそれぞれあるのだと少しだけ元気をもらうことができた物語だった。
【position talk】は1番ムカつきながら読んだ作品。とにかく「男だから〜」「女は〜」と主語が大きすぎる。いや朱里の気持ちも律の気持ちも言わんとしていることは分かるんだけど、スケール感が大きすぎて何も生まない。話し合っててもお互い疲弊するだけ。律が言った「男ではなく、佐々木律という『個人』」が全てだろう。
それに対して「でも律は『男』だよ」という朱里は本当にもう救いようがない。結局、何かを理由にして怒りをぶつけたいだけ、スケールの大きい会話の影には自分が異動になったという本当に小さい自分を守りたいだけ。律も律で主張が無さすぎてムカついてくる。第3の視点で正論まがいなことを言うから、かえって朱里をヒートアップさせるのに…まあ、これに関しては自分もそんなところがあるから強くは出れないけれど。にしても読んでいて両者共にムカつくなんて…
【C’est la vie】では、著者の「汝、星の如く」に出てきた「いつでも自立できる状態にしておくこと、それが自分の人生を生きること」を思い出した。祥子は一流の料理人として尊敬されており、いざとなれば自立できる状況。ただ、坂元が好きだから一緒にいるだけ。周りからはなかなか理解されないのも無理はない。側から見れば、明らかに都合のいい女性である。それをわかって愛人関係を続ける坂元。妻子がいるのに不倫をする坂元は「こういう人だから」と言われるような男性であろう。不義理でも、「そういう人」で、なぜか許される人は一定数いる気がする。天性のモテ要素なのだろうか。
終盤、祥子が後輩の渚と同列に扱われたと感じたことで坂元との関係は破綻する。祥子の中で自立できる要素が料理人という仕事であり誇りでもあった。仕事とプライベートを分けてスパッと切れる祥子はかっこいい。でも、もう少し早くてもよかったんじゃないかなと思ったりもする。
タイトルの通り5つの恋愛、結婚観を垣間見ることができた。共通して言えることは、完璧に全てを手に入れている人などいないということ。そう見せかけている人はいてもみんながみんな何かしらに悩んでいる。他者から見れば理解不能なことや小さな悩みであっても、当人からしたら大きな問題なのだ。だとするならば、逆もまた然り。自分で大きな問題だと捉えているが意外と大したことなかったりすることもある。短編集として非常楽しめた一作。

