
じょるじゅ。
@kameupaupa
2026年9月17日
美学入門
ベンス・ナナイ,
武田宙也
読み終わった
難波先生のご著書を読むようになり、「そもそも美学とはなんぞや?」となっていた時に、「11社共同企画【四六判宣言】第26弾」の一冊としてこちらの本が取り上げてられていたため、読み始めました。
恥ずかしながら、これまで「美学」が学問の一分野であること自体知らず、美学というとなぜかルパン三世のテーマソングが頭に浮かんでおりました(「男の美学」的なイメージからでしょうか…?)。
実際に読んでみると、著者のベンス・ナナイさんもかなりエッジのきいた方で、カントが牽引した一般的な「美学」は「美的対象を見て、判断した結果」であり、本来の美学は「見る→判断する」の間の「→」にあたる注意の向け方とその時の経験ではないか?と、身近な事例をもとに説明していきます。
また、「西洋」で良い・善い・好いとされたもの“だけ“を対象とする美学を批判し、文化的な背景を“理解”し、多様性を含めて注意を向ける「美学的な謙虚さ」を持つように訴えています。
上記の理由から、日本文化についても触れられることがあり、「確かに国によって文化も背景も違うから、何が“美しい”と感じるかは人によっても年代によっても様々で、正解なんてないよなぁ」と思いました。
よく言われる例としては、西洋では完璧に完成されたものや左右対称のものが“美しい”とされますが、日本では“不完全さ”にこそ美が宿るとされていました(なので敢えて模様を一箇所だけ逆さまにするなど不完全にし、“永遠に完成しない=終わりがない”という美を表現しているようです)。
そして、そもそも美的経験とは「自分の心が大きく揺さぶられ、震えることである」とナナイさんは言います。現在は何でもかんでも考察しようとする傾向が強いように感じますが、腕を捲りまくり見ているようでは、その経験自体が本当に良いものであるとは言いづらいですよね。自分がどう感じたかそのものには、正解も間違いもないわけですから。
また、幼い頃に触れた音楽や美術などが、その後の自身の美的判断に大きな影響を与える、というのは仰る通りですと何度も深く頷きました。
私は批評家ではないので自分のことと内容とを関連して書いてしまいますが(笑)、最初に触れた音楽はジャズと洋楽80‘s、そしてシティポップでした。そのため、今も新たに好きになる音楽には存分にその影響が見て取れます。
また、本著を読んで偶然思い出したのですが、小さい頃「美の巨人たち」というテレビ番組を見るのが大好きで、その中でも本著にもちょろっと登場するジョルジョ・デ・キリコの作品「Melancholy and Mystery of a Street」(日本では「通りの神秘と憂鬱」や「都市の神秘と憂鬱」と呼ばれる作品)にものすごい衝撃を受けたんですよね。それはあれから何十年たった今でも、ずっと変わりません。
ただ、ナナイさんのご経験を拝読した後だど、昔好きだったものを見て今も心揺さぶられるのは、ある意味幸せなことなのかもしれない、と感じました。その作品を批評的に見たり、考察するために熟考したりしたわけではなく、「うまく言えないけどなんか好き‼︎」という子供の頃の感性のまま、大切にしまい込んでいたからかもしれません。
しかし、その作品の背景や作者さんが接してきた文化について“理解”することは、新たな注意を引き、新たな経験=視点になります。
美学というものの懐の広さと深淵さの一端に触れることのできる一冊でした。