もちもち "アフリカから来たランナーたち..." 2026年9月18日

もちもち
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2026年9月18日
アフリカから来たランナーたち 箱根駅伝のケニア人留学生
「ケニア人ランナー」をめぐるルポ。 私は駅伝にあまり興味がなく、外国人ランナーが駅伝で活躍していることもよく知らなかった。 ケニアの貧困問題と駅伝に関係があるなどと想像もしたことがなかった。 ケニア人の立場に立ってみると、走ることで一財を築くのは夢のある話である。 また、今後の時代のことで考えても、「必死で勉強して就いた仕事」がAIや機会に置き換えられてしまう可能性は少なくない。 「人間が走って記録を出す」と言う分野は、これから先でも何かに置き換わることのない、その人唯一の技能になるはずだ。 そう考えれば「走ること」がケニアの立身出世に関わっているのも、結果的にではあるが悪くないように感じられた。 これがプログラミングなどの分野であったなら、今後はその道が閉ざされてしまっただろう。 実際にケニア人ランナーの日本への招聘は、年々厳しくなりつつあるようだ。 本書によれば、留学生の条件が(昨今の外国人問題から)年々厳しくなり、駅伝自体のルールが留学生の出場を制限する方針になりつつあるという。 しかし、「走る力」があれば、それは別の形でも、きっと彼らを救うのだろう。 一方で気になることもある。 まず、「外国人留学生」はケニア人ランナーに限った問題なのだろうかということ。他のスポーツでも起こり得る問題に感じる。 ケニアという貧困問題を持つ国が、たまたま陸上の強豪選手を抱えていたという偶然から「ケニア人ランナー」が日本へ呼ばれているので、他のスポーツで同じことをするにはハードルが高いのかもしれない。 しかし、いつか甲子園に留学生が溢れてもおかしくない。 「高校の競技」に留学生を起用することの感情的な批判は理解できる。 だが、国際化によっていずれ日本在住のアフリカにルーツを持つ(もちろんアフリカに限らないだろうが)子供たちはもっと増えていくだろう。 従来の「日本人」とは体格の面で差異を持つであろう彼らは、きっとスポーツ競技においても重要な存在になるはずだ。 「留学生」を忌避することは本質的な解決にならない。 もちろん過剰な商業主義で、子供たちへの教育を見失ってはほしくない。 しかし、これから先の日本では、今まで通りの「日本人」でいられないのは間違いない。 どう外国人と融和し生きていくか。 必要なのはその意識なのだろう。
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