DN/HP "夏から秋にかけての短編" 2026年9月19日

DN/HP
DN/HP
@DN_HP
2026年9月19日
夏から秋にかけての短編
三編目に収録されている「雨の柴又慕情」を読んだ。片岡義男の寅さん小説、あるいは『男はつらいよ』論。 片岡義男本人を思わせる小説家が待ち合わせで訪れた湖畔のホテル、接近する台風で身動きが取れなくなり、時間を潰すために待ち合わせの相手と偶然会った妹とその友人の4人で、タイトル通り外は雨のなか『男はつらいよ 柴又慕情』をビデオで観ることに。全員が気に入り熱心に感想を語り合い、いつしか鋭い分析になり、それは映画から社会にまで至る(というか映画を語るというにはそういうことか)。さらに最後には兄妹が寅さんとさくらになりきり『男はつらいよ』のあの掛け合いのグルーヴまで獲得しているような気までしてくる。これは内容もそうだけれど、タイミング的にも最高だったと言いたい。 この辺特に良かった。 「さくらについては、どう思いますか」僕がみんなにきいてみた。 「まだ独身だった頃のさくらに、私はなりたい」 憧れの気持ちをあらわにして、エルが言った。 「彼女は理想型のひとつね」 「とらやに現れたマドンナとは、その瞬間から、昔からの親しい知り合いのようになれる女性」 「寅さんはコスモポリタンの可能性を持つ人とするなら、その妹もコスモポリタンね」 「マドンナといえども、日常を持っているわけでしょう。日常のなかにある女どうしとしての、日常というもののままならなさへの、心からの共感」 —— マドンナを「外国の人」にしてはどうか、という話から 「……人々が外の世界とどのように接するか、その接しかたを観察すれば、その人たちの本質はたちどころに判明してしまう。これをテーマにすればいい」 「外国をどこまで自分の内側に取りこめるか、ということですか」 「そう。外の世界との接触を拒否したり嫌がっている人たちは、自分たちの国家のなかで眠っている状態だ。国家に利用されていて、そのことに気づいていない状態、と言ってもいい」 「外国を取りこむということは、国家からの自由ですね。どこまで取りこめるかは、どこまで国家から自由であるかということだわ」 「ということがテーマの、男はつらいよ」
夏から秋にかけての短編
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved