
はな
@hana-hitsuji05
2026年9月19日

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」
アレン・ネルソン
読み終わった
図書館本
図書館で借りた
e-honで推し本屋に転送して本を買おうと思っていたけど品切れしていた。
映画も私の街では上映中止になったし、こうなったら図書館の出番である。
(これからは出来る限り、図書館で借りて紙の本も買って、貸し出し履歴や売上などの数字でも意思表示していこうと目論んでる。
もっと読むのに時間がかかると思っていた。
逆だった。家に帰り着く前に買い物したモールの隅っこのソファで読み終えてしまった。
瞬きできなくて目が充血してる。
ネルソンさんが経験した、人を殺すたびに感じた名づけることのできない奇妙な感情のことを考えてる。
「お前はもう、私の子どもじゃない」
お金と名誉が手に入って、蔑称で呼ばれた自分の存在が感謝されるアメリカ人になると、苦労した母が喜ぶと思ったんだよね。
「人を殺したことにほこりさえ感じていたのです」それなのに
「それをしたのが彼らの目の前にいる、ほかでもないわたしであることを知られるのがおそろしかったのです」
私がはだしのゲンを初めて読んだのは小学生の時だった。
今でも幾つかのとあるシーンは脳裏に焼き付いていて忘れることは出来ない。
映画化した塚本晋也監督も言っていたように、この強烈なトラウマは必要なのだと私も思う。遠ざけたらダメなやつだ。
なぜならネルソンさんが言うように「おまえにほんとうの戦争のことをだれも教えてくれなかったからこそ、今のこわれかけたおまえがいるのだ。だから、子どもたちには真実を知る権利がある」から。知らなかったら多分、美化してしまう。
でもどんな人間であったとしても、人間がどのような過程を経てどんなふうに残酷になれるのかを、私たちは絶対に知っておかなければいけない。
奪われた帽子を暴力で取り返した小さなネルソンさん。
「達成感のようなものといっしょに、残酷な喜びがはじけました。
まずしさは暴力によっていやすことができるのを知ったのです」
残酷で冷徹な経験の中にある奇妙な喜びのような、何か勝ち取ったもののような感触は、多分感じようとしなければ気づけない場所に存在するのだと思う。
自分がもし同じ状況になって追い詰められたら、みんなと違う選択が出来ると思うのか自問してる。
だから、集団のその瞬間だけの多数の意見が全て完全に正しいとは言えないんだよな…。
心とは、視点なのか。
それが欠けたら目の前にあるものなのに何も見えていない状態になる。13ヶ月でこの有様なのを、戦争を知らない私たちはどこまで知っているのか。
戦場には音楽も流れない。うごめく生き物や虫、死体の臭いを知らない私は、ちょっと今、呆然としている。
漫画ペリリュー 楽園のゲルニカで、冷徹に任務遂行していた片倉さんのことも思い出した。
あの人も晩年まで夜中に叫びながら飛び起きたり、殺した人の顔を思い出していたんだろうか。
映画や創作物の中の戦争描写を本当じゃない、みたいに批判していたけど、ネルソンさんみたいに何を加害したのか、とてもじゃないけど話せないような経験を話す人がいなかったから、その欠けた部分は創作者も表現できない。口を閉ざした兵士もある意味では声の小さな人ということになるのかな。
その人が知り得たことを誰も知らないから、起きたことや真実が見えない。









