
ゆき
@yuki1024
2026年9月20日
YABUNONAKA-ヤブノナカー
金原ひとみ
読み終わった
しばらく、色々ぐるぐる考えちゃうような本だった。
絶対的な、非の打ち所がない被害者でなければ、「お互い様」と相対化されてしまいがちな、性的被害。
恋人関係や親密さにおいては、色んな思惑が絡まり合う。
こころにおいて、互いに互いを人間として見ていなかったこと、一方が「都合のいい女」、一方が「権力、社会的強者」として見て、相手を見ずに利用していたことは、お互い様なところはある。
だけれど、それと、社会的権力勾配、年齢など、持っている色んな資本とをごっちゃにすると、権力勾配まで相対化されて、一方に破綻の結果が押しつけられる。
自認が「無力」な権力を持った大人ほど、嫌な存在はいない。
権力を持つ者も、社会や生活の中で主体や尊厳を削られているんだと思う。削られ続けて、それでもやってきたから、被害者意識が強くて今の立場は努力の結果、使えるものは使って当然だと、主体が育っていない。
その削られた尊厳、怒り、恥を、弱いものに流すから、恨まれるんじゃないのかな。
性的にモノ扱いしたり、女性を貶めたり、都合よく扱ったり。
自分で抱えておけないそういうものを他人に流したくなる欲望は、女性も持ってる。だから、子どもや年下、より弱い者には流れたりする。
権力勾配がある相手には、その人から流され、投影された恥や無力感、削られた尊厳が、返せない。一方通行に、削られ続ける。
それが、人生を賭した復讐に駆り立てたり、絶望を呼んで命を断つことにまで、繋がってしまうんじゃないのかな。
橋山さんは、蓄積した無力感の発露の先として、現代で認められやすい性被害の告発を選んだような描き方がされていたけど、蓄積した無力感への最後の一押しとして、性的搾取は、全ての象徴に足る。
告発者の人生の無念、怒りの全ての象徴にされた方は戸惑うような恨みを買うことが、後ろ盾のない人を搾取するということ、なんだと思う。
人に自分の影を押し付けた結果の虚無や絶望、社会的破滅を書いてくれてはいるけど、橋山さんや友梨奈さんのように世界に対する信頼感が根こそぎ奪われてしまった人々は、相手の破滅を世界に任せられずに、自分で手を下そうとして、人生を使ってしまう。
乖離して、世界や正義に自分を組み込まないことで自分を守ってきた友梨奈さんは、その倫理を自分に適応できずに、周りの人を傷つけてしまう。
友梨奈さんも、権力を持ちつつ、主体がすごくあるようで、実はないんじゃないかな。
だから無自覚に搾取して、無力感を自分より弱いものに植え付ける。抽象的な人間のことは理屈として知っていても、具体的な目の前の人のことは、わからない。
どんな人でも、どんな被害者でも、どんな過去があっても、一生被害者ではいられないし、純粋な被害者なんていない。
だけれどそのうえで相対化できないことは、確実にある。加害者は悪魔ではないけど、悪意の有無に関わらず、人を人として見ないことで、人は死ぬ。
「相手を尊重」という言葉は、親密圏では、相手の人間性や過去、傷、立場を加味したうえのことで、上辺だけの言葉を深く考えずに鵜呑みにしていては、それは相手を尊重している、と、相手からは思われない。
相手をわかった気になって、そういうものだと享受して傷つけた罪は、相手の何も言わなかった、断らなかった罪とは、相手の中で相殺されない。
傷が深くて生きているのがどれだけ辛くても、人に不全感を受け取って欲しいのなら、相手を人として見なければいけない。主体を持たなければいけない。
都合のいい人なんていない。
どんな人でも、人だから。
人間を人間扱いすることは、本当に難しいけど、それを怠ると、取り返しがつかないことになる。という教訓を、私は受け取った。


