Jenの日常 "急に具合が悪くなる" 2026年9月20日

急に具合が悪くなる
急に具合が悪くなる
宮野真生子,
磯野真穂
・→「かも知れない」という確率、可能性。安心を求め、リスクを避けることで日常からどんどん遠かったり、選択肢が一気に狭められていくp21 p30 p31 ・未来だけから今を照らすようなやり方は、そのつどに変化する可能性を見落とし、未来をまるっと見ることの大切さを忘れてしまう。p31 ・運命、確率。 運命は死。(=誰もが必ず行き着くもの。) 確率は起こるかどうか不明なものp37 ・正しい情報は客観的で一般化可能性があるとされるエビデンスp39 ・客観的データは医療者の思う未来予想図とその地図の中での理想的な振る舞い方が埋め込まれているp39 ・確率によって描かれる未来予想図の難しさは、どこまで行っても運命論にしかなり得ないp40  →あらかじめ敷かれたレールを、自分で選んだていで選ばされる窮屈感。 ・「ガンが治ったら」=最新の治療ができなければやりたいことはできないp44→窮屈感に対する反発。怒り。 ・(一方で)いっそ粗雑な運命論に乗っかったほうが楽なんじゃないかp45→受け止めるに至っていない中での自由が狭められていくことに対する反発とそれに巻かれてしまおうかという揺れ ・→正しい情報は一般化された三人称的なもので、どうなるか分からない自分に誰がフィットするのか分からない。選び、決めることへの疲れp48 ・p55→誰かの人生や何かの軌跡など過去を遡ろうとするとき、そこに人は物語を見いだしがちだけれど、リアルタイムでは決断の連続に過ぎず、それはただの年表にすぎないのかもしれない。 ・p56→人生の終わりについて、合理的、科学的に語ろうとすると、行間からこぼれ落ちてしまうものが確実にある。 ・p56 →「かもしれない」から逃れ続けることは、心が追いつかないという点では、タイパコスパの追求と根っこは同じかも。   ・p60 →確率や合理性などに基づいての判断だとしても、人間の判断は結局、誰が言うかという「信頼」「希望」という非合理的なものに左右されているのかも ・p62 →医師の訴訟リスクを避けるという意図に基づき提示した選択肢。医師から見える景色、患者から見る景色が必ずしも重なるとはかぎらない。(確かにそうかも。自分の知り合いの話として、医学部の人がやりたいことと訴訟リスクを避けることとを天秤にかけて診療科を選ぶ話を聞いたことがある。訴訟リスクをはそれだけ医師にとって身近なものだと知り驚いたことがある) ・「良い患者」p70→選び決めることへの疲れ。確率、論理重視の方へ傾いている ・選ぶのは「私」結果を引き受けるのも「私」でも、そのプロセスは1人で担う必要はないp74→選ぶ・決めることへの姿勢が決まった ・p81 →1人で背負い込もうとしている宮野さんの力の入った目を、ユーモアを交えながら緩めて視界を広げる磯野さん。宮野さんのホームグラウンドでもある九鬼さんの「偶然」と「運命」の話をもっと詳しくと促している所もすごくいい。 ・合理性を手放すことのスリルp89 ・人は合理性に則って生きようとする。しかし、どうしても無理なことがある。その時は「飛んでみろ」p90 ・必然性をもとに合理的に世界を理解し、未来を予想しようとするp91 ・どうしても説明がつかないものを「原始偶然」というp93 ・私たちが生きる現実というのは結局のところ、必然なんて言えないんじゃないかp93→共感!人生は、現実は不条理なのものだと私も思う。 ・偶然は現実の生産点p93 ・ あり得ないことが起こる象徴が野球。偶然の持つ美しさp94・p95 →この表紙イラストがキャッチボールであること。このキャッチボールが会話のメタファーなことに途中で気づいて震えた。(茶トラは宮野さんの飼っている猫)⭐︎ ・「偶然」に対するポジティブな印象。一方で、自分が偶然に身を委ねることで周りを巻き込むことへの恐れp97 ・EP(エバンズプリチャード)の妖術。しかるべき努力や準備をしてもなぜか起こってしまった不運の説明のために使われるp103 ・p104→不幸と不運の混同がこの辺から ・p114→「腑に落ちる」の受動的なニュアンスの持つ心地よさ。偶然要素。 ・患者として役割が固定される時に不幸という物語が始まるp116→何でもない日常の持つ価値⭐︎ ・p118 →ガンは自分に紐づくタグの一つにすぎず、自分=ガンじゃない⭐︎ ・p120→物事には必ず理由があるとすることによる窮屈さ、不自由さ。翻っての「分からないもの」を分からないまま持っておくことの価値 ・p124→このあたりの言葉選びの厳密さ。しびれる!頭の良さってこういうことだよな!って感じ。 ・p125→即興性=偶然=(映画版の)ダンス!!!そうか!そういうことか!鳥肌たった。 ・p126→村上春樹が話題に上ってびっくり。私がこの本を読む中での逃避として村上春樹の本を読んでいたので。 ・p135→余分、余白の話 ・p134・p136 →書き言葉:余白なし、会話:余白あり。「病気のことは会話でも書き言葉にどんどん近づく」だからこの本はしゃべり言葉なのか!⭐︎ ・余分なものは余計なものじゃなくて、会話の広がる余地を作るp138 ・p138 整理されていない会話→それって余白のある言葉。つまり生活。病気になっても、それでも生活は続く。それこそ最期まで。⭐︎ ・p140→宮野さんは優等生の患者から「ほどほどの患者」に変化した。ただそれはつまり死を受け入れて始めたと同義でもある。(この頃はモルヒネ接種生活への慣れと書いてある。p141)⭐︎ ・ガン患者の日常にとって大切なのは、このずるずるであり、ぬるっとした変化p141 →生活・余白・ぬるっとした変化⭐︎ ・→この本の凄さが後半に向けてどんどん詰まって濃厚になってくる。「死」核心にグイグイギュンギュン迫っていく。双方の言語化の力が凄すぎて、一般人ならぼやかしてしまったり、ここまでの厳密さで核心に迫れるほどの力がない。でもこの2人は違う。すごいものを見てしまった…って感覚。読んでいて、苦しくなるほど。p147 ・自分の人生に完璧な責任が取れることは好ましいことなのかp158→割きれなさの美しさの境地 ・→論理的なもの、割り切れるもの、優等生の患者側にいた宮野さんが、「急に具合が悪くなる」ことの現実味が迫るにつれ、割り切れないもの、予測不能、不明瞭、を内包する側に変わっていくその様を一緒に体験していく感覚p158 ・信頼は日常的な私たちの社会を支える根本。見知らぬ人同士でもお互い役割に則って振る舞うという暗黙のルール。(by 哲学者の和辻)p161 ・ルールによって、怖い他者から自分を守り、他者に対して自分は怖くない存在だと提示するp162 ・他者との共同性を生きる上での「暗黙のルール」死が遠い時は、暗黙のルールも意識することなく適応できるが、死が迫ってくるとそのルールの中での運用が難しくなってくる。そういう、人間関係とそれを形作るルールの存在に改めて気付かされるp154 p161 ・p162 →死は「分からない未来」と最たるもの ・p163→死は「見て見ぬふりをしているもの」の最たるもの ・約束の意味。分からなさ(=未来)を内包した上での冒険であり、賭けを目の前の相手に対して「あなたがいるからこそ」と、今、表明することp163 ・p168 →今にも死に追いつかれそうになっている2人の誠実さを具現化したかのようなやり取り。こんな間近で覗き見していて良いのだろうかという気持ち。 p168 →「美しい研究」の「美しい」。これは偶然や余白に多分繋がっている。 p170→こんなんもう、泣くやん。叫びやん。映画版の濱口監督。まだまだと言ってたあの感じはこれか。なるほどね。もう、あの装丁を見る目が完全に変わった。切実さのゲージがマックス。可愛いなんて言ってられない。⭐︎ ・書くネタにしてやる。試作する人の業。p170→宮野さんの関西人の血も感じる。何でもネタにしてやるって感じ。そう思うと、特定の個人としての宮野さんその人が確かにいるという体温を感じる。 ・p173→九鬼の「あることもないこともあり得たにもかかわらず」の「にもかかわらず」が偶然性の象徴。そして宮野さんにとって美しいもの。それをおぞましいまでの力で否定しようとしてきた。それこそ、生きるということ。今までの闘病生活の振り返り。終わりの匂いがするのを、否定したい気持ちで読む苦しさ ・p175→再建した感覚のない胸→「偶然」「割きれなさ」「説明のつかないもの」を内包した自分の象徴でもありそう。⭐︎ ・p176→風船のように膨らんでいく死に食べれれて一体化していくイメージ。クジラに飲み込まれるピノキオのような。 ・p183→歩みを進めるたびに世界を知覚。ガンに包まれかけている中、ガンと自分との境目の感覚を忘れまいと、手触りを必死で確認しているかのような景色。 ・p185・p186→マニュアル的だったり、縦ではなく横並びの視点。一人一人方法の異なる関わり。映画で言うところのユマニチュード。鳥肌がたつ。物理的にガンに飲み込まれたとしても、役割としてまではガンに飲み込まれまいとする、踏ん張り。⭐︎ ・p190 終着点を決めない。ラインを描く。→点ではなく時間の経過という連続性のある線。そしてこの本はまさにその線を具現化したものということに気づく。⭐︎ ・p191→急に具合が悪くなってもなお、点ではなく線として変化し続ける宮野さんのあり方に、説明がつかないものの美しさって、こういうものか!と思わせられる。線を引き続けること、他人を巻き込んで点にしないこと ・p194、p195→例えば「正義」というような括りで乱暴に語るのではなく、厳密に言葉で本質に迫ろうとする丁寧さ。この状態でまだ変化し続けていることに圧倒される。正規、非正規、男性女性、それらはあくまでもたくさんあるタグの一つにすぎない。カオスの持つおおらかさ。余白。映画の終盤の舞台に乱入するあのカオス。あぁ、そういうことか。 ・私は患者であることを100%引き受けきれていないし、引き受けることが大切だとも思わない。p196 →タグ付けされたそのタグを書くのではなく語り、人と人とが繋がっていく。映画のあの画面ってのはそういうことか。ガン患者でも、正規でも非正規でも、それを自分のアイデンティティ丸ごとにしないその厳密であろうとするその誠実さに胸を打たれる。 ・色んな人が生きているという単純な事実が、多様性というかけ声のもとに整理される時、平面図の中に新しい点を置くような形で示されるp197→研究分野も違う宮野さんと磯野さんが出会い、手間を惜しまず言葉を何度も厳密に交わし、新たな点が生まれた。その点が線となり、時間を積み重ねながらラインを描いた結果生まれたのがこの本なのか! p223→点が線となり、その線に沿って刻まれた踏み跡から撒かれた種が芽吹いていくような、生き生きとした景色。まさにいま死に瀕している人の言葉を生き生きと言って良いのかどうか分からないけど、生き生きとしか言いようがない爽やかさ。 全体を通して思うのは、伏線回収と言ってしまうとあまりに軽率になる。だけど、とにかくまるっと一冊全体で「ひとかたまり」という感覚がすごい。すごいものを読んでしまった感。 キーワードは「日常生活」
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