いちのべ "肉は美し" 2026年9月21日

いちのべ
いちのべ
@ichinobe3
2026年9月21日
肉は美し
肉は美し
アグスティナ・バステリカ,
宮崎真紀
読了。人が酷い目に遭う小説だと分かって(いるどころか、むしろそれを期待して読んで)いる自分が、犬が酷い目に遭う描写にはしおしおになってしまうという己の偏りにあらためて向き合う。 動物感染症のパンデミックにより畜肉が食べられなくなり、紆余曲折を経てヒトの飼育・繁殖・屠畜・加工が合法化される。この出来事を〈移行〉と呼び、家畜化されたヒトは〈頭〉、人肉は〈特級肉〉と呼ばれる……という、その、新しい言葉による定義、支配が「起こりうる現象」として生々しい。主題は異なれど同じディストピア小説である『一九八四年』でも行われていた手法。 主人公は「彼」という三人称で呼ばれ、その思考や感情は描かれつつも、どこか突き放されたような印象も受ける。その主人公が、プレゼントとして半ば押し付けられた家畜のメスを「人間扱い」し始めるという状況もグロテスクだなと感じた。長きにわたる不妊治療、死んでしまった子ども、実家に戻った妻、施設に入った父、身勝手な妹、そして食肉処理工場の様々な仕事……と、彼がストレスフルな環境に置かれていることは確かで、その心の隙間を埋めるために手近な「メス」に手を出すという流れが、異性愛者男性の登場人物の行動として、あまりにもありふれていて。その対象が家畜化された人間であるというのは特殊な点で。その落差に頭がぐらぐらした。 妊娠させてしまった「メス」と、その子どもと共に、ここではない何処かへ逃亡しようとするのかしら……などとロマンティックなことをぼんやり考えていたら、(どこまでが彼の目論見通りなのかはわからないが)看護師である妻を呼びつけて「メス」の出産を手伝わせ、生まれた子供を「この子はもう僕らの子だ」と言い出したので、アッ、結局ちょっと「人間扱い」をして慰み物にしてみただけであって、彼にとって「メス」はずっと「家畜」でしかなかったのか……と、あらためて思い知らされる。それは好みの終わり方だった。 食肉処理工場や研究所の描写は確かに非人道的でグロテスクなのだが、主人公に同調しがち&家族関係の問題が弱点という読者なので、そっちの方に神経を削られて「厭」だったなという読後感。社会が変容しても、人間の悩みの本質はあまり変わらないし、人間の持つ悍ましい本質も大して変わらないのだな、と感じた。人が人を非人間化して虐殺することも、誹謗中傷することも、あまりにもありふれている。
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