鱗拾い
@urokohiroi
2026年9月22日
白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記
小野不由美
感想
改めて、読了!
三・四巻は二冊合わせて丸一日もかからなかった!
その代わり自分なりの言葉を一通り書き出すのにめちゃくちゃ時間がかかった。
以下、結末に触れています。
(最終章の一節を引用しています)
どう出るAI判定。
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「 ——過去が現在を作る。
ならば、いまが未来を作るのだ——たとえ繋がりは見えなくても。」
……ここに至るための道のりでございましたか……!
『黄昏の岸〜』で浩瀚が言ってた「自身の行為が自身への処遇を決める」をもっともっと広くしたような。
三巻を読んだとき二巻を振り返って思ったこともすべて小野主上の掌の上だったのだな、などと思ってみたり。
李斎や泰麒たちの正しい「過去」が、希望のある「現在」に繋がった上での言葉だったから心が洗われた。
ただ、人は過ちを犯すこともあるから、厳しい言葉でもあるよなぁと思う。
終盤で前述の箇所と同じくらい刺さったのが、結末が決する前のこのくだりだった。
「静之は戴の未来に絶望したが、それ以上に絶望したのは、己の無能さにだったと思う。自分がどうにかできたかもしれない、なのにその機会を自らの無能でみすみす逸した、と認めることの絶望。自身への侮蔑と嫌悪——憎しみ。誰が許しても自分だけは自分を許すことができない、というあの腸(はらわた)が捻じ切れるような気分。」
静之を責める気にはなれないけど、過去が現在と未来に牙を剥き、もう取り返しもつかないとき、後悔を通り越して自分を憎むところまで行ってしまうのはとてもよく理解できる。
『黄昏の岸〜』の西王母の前で李斎が出した答えも、きっと未来の自分をその憎しみから逃したいということだった。
ただこの巻では、そこで「絶望」という言葉が使われていたのが印象的だった。
そのもっと前のシーンで、阿選が泰麒を絶望させたがっていたから。
「絶望に押し潰され、倒れ伏す姿が見たい。
『驍宗を選んだお前が悪い。お前はこれから、それを後悔して生きることになる』」
この言葉であの泰麒が初めて青褪める。
「絶望」は、過去から未来までを後悔が貫いたときに起こるものなのかもしれない。
阿選自身、三巻の回想シーンで、少なくとも二度「絶望」している。
一度目は驍宗の次の王にはなれないと突きつけられたとき。
それは驍宗と共に昇山していれば、という後悔が永遠のものになってしまったからではなかったか。
二度目は、玉座を盗んだ、よりにもよってそのために、驍宗を超えられなくなったことに気づいたとき。
「自分で自分の首を絞めたのだ」
「予見できなかった自分の過ち」
「この絶望を嫉妬と言うのだろうか」
阿選が抜け殻になってしまったのはここだと思う。
ところで、終盤の李斎たちを見ていて私は『走れメロス』を思い出していた。
邪智暴虐の(偽)王が待つ刑場へ、殺される覚悟で向かう——記号的には共通点はある。
メロスと違って、自分が死ねば誰かが助かるわけではない。
でも絶望から死にに行くのとも何か違う。
『走れメロス』は青空文庫で検索が効くのでざっと確認したのだが、『走れメロス』に「絶望」という単語は使われていない。
その代わりに覚えていたのが、「義務遂行の希望」というフレーズ。
「我が身を殺して、名誉を守る希望である。」
(『走れメロス』より)
その希望が、李斎たちの行動が、あの結末に、未来に繋がった。
上で「正しい過去が希望のある現在に繋がった」とか書いたけれども、あれは過ちからくる後悔の話をしたかったから、“過ち”の逆として仮に“正しい”を置いたに過ぎない。
“正しい”過去だったかどうかは、それが未来にどう繋がったかで結果論的に決まるものでもあるから、いまと未来の繋がりが見えない以上、何が正しいかなんてわからない。
静之が後悔してることだって、その時点ではわからなかったからそうしたんだし、阿選のやったことはそもそも正しさからは程遠いけれども、自分がああいう絶望の仕方をする未来に繋がると予見できていればやらなかったかもしれない。
そこで『月の影〜』の楽俊の言葉が過ぎった。
「『どっちを選んでいいか分からないときは、自分がやるべきほうを選んでおくんだ。そういうときはどっちを選んでも必ずあとで後悔する。同じ後悔をするなら、少しでも軽いほうがいいだろ』」
結局ここに行き着くのか……!?
自分はやるべきことをやったと未来の自分に恥じずに言えること、正しいというものがあるとすればそれぐらいで。
でも、やるべきことをやる、その決意こそが希望なのかもしれない。
約14冊、考えさせられた旅でした。
次読むときはレーベル統一したいね。
とりあえず新刊を読むぞー!!
P.S. 395ページの「阿選の、玉座に縫い止められた視野」というところで、ほんとそういうところだよ、と思いました。
そういうところを小野主上は見ている。