
Jenの日常
@jennonichijo
2026年9月21日
急に具合が悪くなる
宮野真生子,
磯野真穂
読み終わった
さて、先日読書会の前日でもまだ読み終えてなかった『急に具合が悪くなる』。
結論からいうと、間に合った。でも一つの手紙を一日かけて読むくらい、じっくり味わって読むべき作品だな、と思った。(完全に「お前が言うなよ」案件である)
読書会の感想は、これもまたとても面白かったので別に書くとして、以下は私の個人の感想。
全体を通して思うのは、伏線回収と言ってしまうとあまりに軽率になるけれど、とにかくまるっと一冊全体で「ひとかたまり」「伏線回収」という感覚がすごい。そして、ここまで死に飲み込まれようとする人に肉薄するドキュメントは見たことがない。
2人とも語彙力がすごすぎて、一般人ならありえないくらい正面から死に迫っていく。それゆえ我々読者としても、三人称の死がどんどんと近づいてきて一人称となっていくその変化の過程を、かぶりつきで見ているような感覚がある。読み終えたときも、「すごいものを見てしまったな……」というのが正直な感想。迫り来る死をフィールドワークとして体験している感じ。
宮野さんの誠実さと覚悟が伝わってくるし、皆見て見ぬふりをしている「死」を対象にした観察に寄り添いきる磯野さんの精神的体力にも圧倒される。
普通の人なら逃げ出したくなるような、ヒリヒリする状況に向き合い続ける、学者としての覚悟。宮野さんが、今にも自分を飲み込もうと大口を開けて迫り来るガンに対し、自分=ガンではなく、ガンをあくまでもたくさんある自身のタグの一つに過ぎない状態に置き続けてやろうと戦い続ける感じは、まるで研究という名の格闘技の選手とセコンドを見ているみたいだった。
運命や確率など、合理的な世界から、選び、決めることの連続の中で運命や説明できない割り切れなさを内包する余白のある非合理的な世界へと徐々に移動していくグラデーション。でもそれは、身体をどんどん侵食していくガンの勢力図ともリンクしているわけで、その切実さが胸に迫る。
ただ、そこには悲壮感はない。感傷的な要素は本当に少なくて、それがこの本の特徴であり、まさに研究者という感じがするところ。
人は、誰かの人生や何かの軌跡など、未来から過去を遡ろうとするとき、そこに物語を見いだしがちだけれど、当事者やごく身近でリアルタイムを共有する人にとっては、決断の連続の単なる年表に過ぎないのかもしれない。
ふとそう思ったとき、結果から過程を眺めては、物語として勝手に意味づけし、分かった気になって無意識のうちに消費しようとしている自分の傲慢さに気づく。
でもそれは弱さでもあり、同時に「いつかは必ずくる死という未来」をあえて直視しないことで、日々の生活を気楽に面白おかしく回す、ある種の生活の知恵なのかもしれないとも思うのだ。
当たり前かもしれないけれど、我々は死ぬ直前まで生きているし、生活している。死に飲み込まれようしているその最期の瞬間までその人らしく生活を続けるための技法が、ユマニチュード(映画版の中で描かれた、人間らしさを尊重するケアの技法)なんだな、と映画版の『急に具合が悪くなる』を先に見たからこそ尚更思う。
研究分野も違う宮野さんと磯野さんが運命的に出会い、手間を惜しまず言葉を何度も厳密に交わし、宮野さんと磯野さんという2つの点が次第に線となる。その線に沿って刻まれた踏み跡から撒かれた種が点として新たに芽吹いていく。
その芽吹きを具現化したものがこの本なのか!と気づいた時には本当に鳥肌が立った。
それでも私は、ついつい勝手に物語として意味付けしてしまう。そこにはただ死があるだけで、物語なんてないはずなのに。
それなのにこの2人の往復書簡には、まさにいま死に瀕している人の言葉を「生き生き」と言って良いのかどうか分からないけれど、この作品の持つ、なんとも言えない爽やかさがある。それが、編集の力だけで成しえたものとは思えない。
それはきっと、感傷を極力混ぜず、研究者としてあり続けたからこそ生じた、合理的には説明しきれない奇跡の一つなのだろう。
