1129_ymoi "バラバラな世界で共に生きる" 2026年9月24日

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@1129_ymoi
2026年9月24日
バラバラな世界で共に生きる
日本には海外の炭鉱労働者や成長産業からの失業者、阻害された白人男性みたいな、周縁化され不満の高まった大きな労働者集団のまとまりみたいなのが見えづらい。一次産業なんかもどちらかと言えば与党支持者が多かったりする。 その上で、最終帰属先が日本国とか漠然としたものになっているような気もしていて、アイデンティティ政治にピンと来ないのかなと思ったり。 そうなるとローティのバラバラなままでまとまる、緩やかな連帯みたいなのは、あらゆる差異が無視されたまま、大きな、日本国民というアイデンティティに収斂されてしてしまって、難しいのかなと。 もっと偶然性の帰結としてのヒエラルキーやアイデンティティを意識すること、バラバラであることの自覚がないと、バラバラなままでの連帯は難しそうかなと。 なので、リベラルが弱くなったという世界的現象とは何か違う働きがあるんじゃないかと。エリートやグローバリストみたいな人が与党にもその支持者にも沢山いるし、労働者もマイノリティもいて、わかりやすい特定の集団との対話の可能性が掴みにくいのかと。 だからこそ、リベラルの目指す道筋が日本ではより見えにくく、ここまで衰退してきてしまったのだと。 (追記) たとえば、実際に自分がなにか職場から理不尽な扱いを受けて初めて、自分が「労働者」でしかないことを発見したり、制度上の恩恵から外れてから初めてひとりの「市民」でしかないと発見するような。そんなある種のすれ違いのようなものが、日本には存在している気がする。 本書での立場は、あくまで統一的真理としての「正義」やリベラリズムを目指すのでなく、共通の解があるわけでなく、消極的に残酷さを回避する、その場を共有し維持するという方向性だと思うが、そのためには大括弧の「日本国民」みたいなものから、それぞれ個別の経歴を持つ人間であるところまで認識を変えなくてはならないと思った。
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