ケイ "ここはすべての夜明けまえ" 2026年9月24日

ケイ
ケイ
@flyingkei
2026年9月24日
ここはすべての夜明けまえ
『羊型式人間模擬機』からさかのぼって、ハヤカワSFコンテスト受賞作つながりで読んでみました。ブクログにも掲載済み。 ディストピアSF小説である。父親から寵愛と性的虐待を受けて育った主人公が、安楽死を希望したものの「融合手術」を受けることとなり、機械の身体を手にしたことで父親の執着からは逃れるが家には囚われたまま、兄姉、そして恋人となった甥を看取って100年を過ごす。人類という種の未来という意味でも、個人が経験する生涯という意味でも、紛うかたなきディストピアSF小説である。 だが、まさにディストピア、反理想的な世界と人生でありながら、そこを生き抜き機械の寿命を目前に主人公がたどり着いた場所が「すべての夜明けまえ」だということ、その、希望にあふれたというより希望の予感だけを与えてくれる静かな暗さ、陽がこれから昇るのか沈むのか受け止め方次第のようなかすかな希望の気配が、読後感をあたたかな救いあるものにしている。 融合手術を受ける前からどこか人間的な感覚を失っていたように(本人の記憶データに基づく回想によると)感じられる主人公に、悲しみという感情はほぼない。父親、兄、姉、とその死を見届けても、その眼差しの中に悲しみはない。けれど、そんな主人公が胸のうちに育てた「悔い」は強く、深く、他の感情が薄いがゆえに、とても人間的なものとして伝わってくる。 搾取が搾取を生み、束縛は束縛を生む。人は愛されたようにしか愛せない、のかもしれないが、延命のために体内に入れたチップが宿主の自殺を予測できないように、遺伝や刷り込みの輪も人の意志の前では絶対的なものではない。生きるとはきっと、「管理」されることも含め、「定め」や「役割」からいかに自分を解き放っていくか、その闘いの先にこそ現出するものなのだ。 九州の山奥の、家に縛られた女性であった主人公が、寿命を迎えつつある機械の身体で捨て去られた日本をゆっくりゆっくり歩いていく。飛び立つ宇宙船に背を向けて、出会う人があればおしゃべりしたいと願いながら、一歩一歩、「前」だと思える方へ進んでいく。前進していく。それは確かに、日没ではなく夜明けの、夜明けまえの情景だと感じた。
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