
ジクロロ
@jirowcrew
2026年9月24日
読んでる
要するに、大きくなりすぎたゴーレムを前にあたふたするという<人間創造主>が出てくる<グリムのゴーレム譚>は、「魔法使いの弟子」的な要素を含むのだ。そこには既に『サシへドリン篇』でのそれのような、自在な統御可能性はない。疑似人間としてのゴーレムは、どこか不気味な洞穴のような空隙を、人間の創造性の前で広げて見せるのである。
(p.49)
神が創り上げるものが神未満である、そのフラクタルとして、人間が創り上げるものは人間未満であるということ。そう考えると、AIや核兵器に対する脅威は薄らぐように思える。彼らは人間の声を持たない。ただ、彼らは人間によりつくられている。
祈るときと感謝をあらわすときのルール
祈るときには
すべての生きているもののために。
感謝をあらわすときには
すべてのもののために。
(『自然のレッスン』 北山耕平)
ここに言われる「すべてのもの」において、線引きは可能なのかどうかは悩ましいところではあるが、それでも彼らは人間によりつくられているという事実の重み。
ぬいぐるみとAI、ぬいぐるみと核兵器。
言葉を並べるたけでは、そこに優劣のような差異が感じられない不思議。
アニミズムはすべてが等しく声ももたない世界。それなのに叫び声だけは聞こえてくる気配。
ゴーレムを愛おしく思うのは、人間を愛おしく思うのと同じ価値をもつ。
大事なのは対象ではなく、対象を選ぶことを知らない述語のほうだとあらためて思う。
そういった意味で、「ゴーレム」をつくる目的というものは不要ではないかと思う。


