
はな
@hana-hitsuji05
2026年9月25日
日本の「射精責任」論
齋藤圭介
読み終わった
図書館本
図書館で借りた
ついに読了!
最初は、画期的すぎるやろこれと思っていた極端に思えるタイトル内容も、色んな人がバトンを渡すように論考が進むと、そんなシンプルには行かんものだなと腕組みしてしまった。
ただ、最初の問いがこれほど鋭く潔いからこそ様々な人の考えを引き出して広がりを見せているわけで、後半は哲学的な世界が広がってきた感覚でビックリした。
あと、論文なのだから当たり前なのかもしれないけれど、こういう文章を書ける人に憧れる…。実は自分から見えにくい角度で、日本でもこの問題に着目してきた人たちがいた。
コンドームを使うことが男性の責任を取る行動と位置付けると、それは男性の選択に傾くので主導権的にはどうなの?という部分や、責任を取るための避妊の判断という考えや、じゃあ不妊カップルの場合のそれとは?という流れ、異性間、同性間の責任に対する論考、人工受精、体外受精の倫理的課題など、こんなに深掘りして研究したり「じゃあこのケースにおいては?」と考えた人がいたのを目の当たりにして目が点になった。
「男性に責任ある行動を求めることは、女性が責任を取らないことを許すのと同じ意味ではありません」
「というのも、先に見た、妊娠出産への男女の身体的関与が0対100という非対称性に、つまり実際のリスクや負担を身に被るのは女性のみという事実に引っ張られて、どうしても男性側の妊娠の防御可能性や、そこから生じる責任が曖昧になってしまいやすいからである」
ここら辺、気づいたら曖昧になってるし、曖昧論法もよく見る。気づいたら自分も足を踏み入れてるから本当に気をつけて軌道修正していきたい。
空き巣に例えて両者の「責任」は全く別枠で考えられるべき、とあったのが特にわかりやすかった。
編者が「たとえ性(=性行為)が生殖と手を切ったとしても、生殖の方は性と手を切っていない」という部分を引用していた本「道徳派フェミニズム宣言」が気になる。
こういう隅に追いやられがち、隠れがち、忘れられがちなことが深く研究されて本になっているのを見つけると、名付けられていなかった事柄や現象についに名前がついた時のような感覚で嬉しい。概念が存在することを捕まえたような、不思議な手ごたえみたいなもの。








