ジクロロ "森は考える" 2026年9月26日

ジクロロ
ジクロロ
@jirowcrew
2026年9月26日
森は考える
森は考える
エドゥアルド・コーン,
二文字屋脩,
奥野克巳,
近藤宏,
近藤祉秋
"問題になるのは、人類学は、世界が存在する仕方について一般的な事柄を主張できるのだろうか、ということではないか。一般的なものを主張することで生じる多くの問題(中略)があるにせよ、人類学にはそれができると私は考えている。さらに、人類学が世界に対して忠実であるには、そのような主張をする方法を探さなければならないのだと考えている。" (『序 ルナ・プーマ』) 驚くほど大胆な主張。 「一般的な事柄」を述べることの困難さ、人類学はそれを克服できると著者は信じている。この主張、というか熱量により、一気に引き込まれる。その人が本気で信じていることは、それだけで傾聴に値する(それが真実であるかどうかは二の次であるように思える)。 「一般的な事柄」を述べる、これは世界観の提示。ある意味で宗教であり信仰の告白であるとも言えるのでは。 「さらに、人類学が世界に対して忠実であるには、そのような主張をする方法を探さなければならないのだと考えている。」 これはある種の「天啓」ではないかと思う。著者に降りてきた純粋な使命感が伝わってくる。 "私が示してみたいのは、森が考えると私たちが主張できるという事実は、ある奇妙な仕方で森が考えるという事実から生まれている、ということである。これら二つの事柄ーーこの主張そのものと私たちがそのように主張できるという主張ーーは結びついている。私たちが人間的なるものを超えて考えることができるのは、思考が人間的なるものを超えて広がるからである。" (同上) 「事実」と「前提」の差異がここにおいて曖昧になる。 「ある奇妙な仕方で森が考えるという事実」、末尾に据えられる「事実」という言葉は、「前提」とした方が文章として無理がないように思われるが、著者はあえて「事実」という言葉を選ぶ。 それにより「命懸けの跳躍」みたいなことを果たそうとしているのではと推察すると、ゾクゾクしてくる。 中途半端な信念は傾聴するに値しない。 いや、「値」の次元ではない、と今書きながら気づく。 「読むに値する」ではなくて、シンプルに「読みたくなる」本というのは、こういった信仰告白に近いものが含まれているのではないか、とこの本そのものの内容よりもメタな方に考えが飛んでしまう。 これもまたある意味で「ある奇妙な仕方で森が考えるという事実」に類するものではないか。 森(に限らずあらゆるもの)は真剣に生きている、だからこそ森は考えているーーと捉えることに、一抹の事実は含まれているような気がする。 ゆえに、あらゆるものに備わっている「真剣さ」(信念)とそこから生まれ出る「思考」に耳を傾けたくなる。 序盤から文章は難しいし、提起される事柄も多く、考えることも多い。それでも読み進めたくなる気持ちにさせるのがこの本の魅力。
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