
ケイ
@flyingkei
2026年9月26日
魔の山 下
トーマス・マン,
望月市恵,
関泰祐
読んでる
何度読んでも素晴らしい、『魔の山』の白眉とも言える章を堪能!
215〜266ページ
「雪」と題されたこの章は、『魔の山』全体の中でも思索的な文脈におけるクライマックスと言える。
スキーで入り込んだ山中、白く視界を塗り込める無音にして生の気配のない吹雪の中で、遭難しかかったカストルプ青年は長く短い夢を見、遊びではない真剣な精神的「陣取り」の果てに、一つの結論を見出す。肉体を神と対立するものとし、痛みや病を肉の欲から離れ精神の世界へ向かうためのものだと称賛するナフタの病んだ論理。国家の自主独立や個人の文化的進歩を美しい言葉で説き、相手に通じなくとも倫理的な正しさを称揚し続けるセテムブリーニの頑なさ。ハンス・カストルプは、死と生、病と健康、精神と自然を対立させる彼ら「饒舌家」のいずれにも与せず、死を含めての生を生きてこそ「神の子」たる人間であると考える。死と対立するのは生ではなく、愛である。死と戦えるのは、理性ではなく愛なのだ。
カストルプ青年はこうした結論にたどり着き、ナフタの病んだ論理を否定しつつ、セテムブリーニの非宗教的な倫理をも不完全なものとして退ける。愛と善意を失わず、思考を死に従属させないことを「陣取り」によって導き出した最終結論として心に誓う。
こうして、雪の中で得難い精神的冒険を経て崇高な真理を見出したカストルプ青年だが、しかし、吹雪がやみ、ベルクホーフに無事帰り着いて豊かな食事を取るうちに、雪の中での思考は薄れ始め、「その晩のうちにもうはっきりとのみこめなくなって」しまう。これぞ現実、このシニカルさが『魔の山』を単なる教養文学に収まらせない面白みである。
