
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2026年9月30日
お墓はどうなる
辻󠄀井敦大
読み終わった
第6章読む。ペット葬儀・墓地というサービスが歴史的にどう広がっていったのか、どのようにペットが人間の家族と同じ存在と位置づけられて行くようになったのか、通史的に把握できるのおもしろいな。
〈親しい家族がいる人々は、多様化する葬送やお墓を積極的に利用できる一方で、そうでない人々は遺骨を「廃棄」されるような実態になりつつある。このなかで、親しい家族のなかにペットも含まれるようになり、弔いの方法のなかで人間と動物への境界線を取り払う動きが起こっているのである。〉(151頁)
〈石材店や葬儀業の動きと同じく、寺院でも墓地が売れず、檀信徒が減少するなかで、経営を維持するための新しい事業としてペット葬儀・墓地の可能性がみいだされたといえる。〉(165頁)
〈二〇〇〇年代から各仏教の宗派のなかでペット供養についての論争が起こり、ペットを「畜生」ではなく、人間の「家族」と同列にみなす実践が現れるようになった。さらに、同年代には宗派を超えてペット供養に取り組む僧侶による業界団体も結成され、そうした団体でも仏典の解釈を含めて新たなペット供養の実践が模索されている。〉(170頁)
〈移動火葬車の普及によって、ペット葬儀・墓地業に新規参入しやすくなった反面、二〇〇〇年代以降には、さまざまな問題が生じていた。[...]人間向けの葬儀を実施してきた葬儀社や寺院が次々とペット葬儀・墓地業に参入したのも、悪質な事業者と異なり、人間の家族と同じ信頼できるサービスを提供するという意味があってこそだった。〉(175頁)
他方で、無縁遺骨になりえる人々、すなわち〈かつての戦死者のように、「家」にも、家族にも弔われない人々〉(180頁)はいかに弔われるべきなのか。そのような問題提起とともに本は閉じられていく。(数年前にクラファンしていた「もやい」の葬送プロジェクトなどは、その意味でやはり大事な実践だったのだな、と改めて思う。)
市場の論理や民間企業を中心とした事業者の実践を押さえながら、葬送とお墓の戦後史をコンパクトかつ豊かに描いた好著。お墓もまた資本主義体制とまったく無縁ではないのだな。



