サブレとポッポの往復書簡 "ビブリオフォリア・ラプソディ..." 2026年9月30日

ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅
今の時代、本と一言でいっても、紙の本から電子書籍まで、私人の未発表作から世間の注目作まで、ひと括りには収まりきらないなっていうのは私も感じていて、だから、こうした有りそうで、無さそうで、でももしかしたら…、の視点で書かれたこの短編集は、物語を目で追いながら、緊迫感や現実味がすぐそこにあるのを感じつつ、ひとつひとつ物語の世界観を味わいながら読めました。 おそらく、この本を通じて著者が伝えたかったのは、『この世界、人の数だけ物語があっていいし、それと同じ数以上に様々な答えがあっていいということ』なのかなと思います。 最終話の『本の泉 泉の本』の中で この世にある無数の作品や物語は、どれも世の中に出る権利は等しいし、それが評価されるもされないも、残るのか残らないのかも、それは作品の持つ質や運だけでは説明しきれない。だからこそ、人々はそれぞれ作品を創り、それぞれそれらについて論を交わすのだ、 という主旨の一節に、その思いが詰まっていると感じたのです。 帯にある問いかけ『本に溢れた世界に希望はあるか?』 読了した私の答えは、この先、取り巻く背景や媒体そのものが変わっても、人が文章を読んで、そこから何かを感じ取って、自分で何故かを考えて、自分の答えを創り出せるうちは、希望はきっと残り続けると思います。 それが、例えディストピアな世界であっても。 以下、個別に印象深かった作品の感想。 『ハンノキのある島で』 まるで読書文化が薄れていってる今に対するアンチテーゼとして、読書隆盛な世界をディストピアな世界感で捉えたら?と突き付けられたかのよう。 『木曜日のルリユール』 小説を創作しながら、そこで同時に批評レビューもしていたかつての自分を重ね合わせて読んだからか、どうしても批評が出来ない聖域が自分の作品だったという部分に、微かな胸の痛みを覚えました。もう原版が手元にないから、当時書いた小説、記憶の中のあらすじ程度しか残っていないのですけどね。 『詩人になれますように』 特に後半、主人公がとっていく動作と反応の描写は生々しいものがあります。 本文中で自問する『私が生きている意味は何だろう?』のくだりの先、死の天使と入れ替わるように、兄のハンドクリームがそこにあるという一節に、ああ、もうきっと大丈夫だっていう不思議な安心感を覚えました。
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