
ケイ
@flyingkei
2026年10月1日
魔の山 下
トーマス・マン,
望月市恵,
関泰祐
読んでる
266〜340ページ
「雪」の章が『魔の山』における思索的なクライマックスとするならば、続くこの章は物語的なクライマックスと言える。ハンス・カストルプ青年の従兄ヨーアヒムの死を描く章である。
軍隊勤務を望んで正式な完治の診断を得ることなくベルクホーフを去ったヨーアヒムだったが、ほぼ一年後の夏に再び療養地へ戻されることとなり、やがて亡くなる。ベッドから離れられない「モリブンドュス」をハンスとヨーアヒムで見舞って回った過去はすでに遠く、いまや自身が「モリブンドュス」となったヨーアヒムに付き添うカストルプ青年は、愛する者の死を看取るという経験をすることになる。
子どもの頃に母、父、そして祖父を亡くしたカストルプ青年にとっては、近親者の死は身近ではあってもその思い出は儀式の荘厳さに収斂されている。そのため、死を厳かな宗教的なものと見なしどこか惹かれてもいて、そのことを自負するがゆえに重病患者の見舞いにも積極的だった。しかし、同世代の従兄、ベルクホーフで長い時間を共に過ごした友でもあるヨーアヒムの死に接し、彼は初めて具体的で身近な死という現象を身を持って知る。それは観念的なものではなく、寂しさであり、恐怖である。カストルプ青年の、「死ぬことは死ぬ本人の問題であるよりも、むしろ、あとにのこる人々の問題である」という思想は、私自身を含め近親者の死に接したことのある者なら頷けると思う。
死を前にしたヨーアヒムが押し殺してきた恋心を一度きり発露する場面、そしてその忍耐強く静かな死、いずれも胸に残る。一方で、死した従兄を悲しみと厳粛な思いとで見送るカストルプ青年が、肉体の崩壊としての死が現出する前にある意味逃げ出していく様は『魔の山』らしいシニカルな展開であり、あくまで情緒に傾かない作品の空気がいっそ清々しい。