ケイ "名前のないカフェ (新潮クレ..." 2026年10月5日

ケイ
ケイ
@flyingkei
2026年10月5日
名前のないカフェ (新潮クレスト・ブックス)
名前のないカフェ (新潮クレスト・ブックス)
ローベルト・ゼーターラー,
浅井晶子
心の底に抱いていた小さな夢を実現する。その、夢の実現までを描く物語は多いが、本作は主人公ジーモンが夢をかなえてカフェを開くところから始まる。 かなえられた夢は現実となり、夢としての美しさを失う。現実は心配事もトラブルも当然ながら伴うものであるし、日常となった夢は疲労や倦怠をも連れてくる。それでも、パンチの温もりで窓ガラスが曇る冬、冷たいビールがパラソルの下のテラス客を喜ばせる夏、堅実に働きながら様々な客の様々な日々を見つめるジーモンの日常は、無味乾燥には程遠い豊かな日常だ。 ホテルともレストランとも違う、それこそ日常のひと時に一息入れるために立ち寄る場所であるカフェ。そんなジーモンのカフェという定点から覗く1960年代のウィーン、中心地ではなく「ウィーンで最も貧しく薄汚い」地域である市場の角から見つめる街の情景とその変化は、年月というものがもたらす激しい起伏と、同じ年月がそうした起伏を飲み込み平らかにしていく、そんな大きく静かなうねりだ。こうした「時」の力はゼーターラーの過去作でもテーマになっていたが、どの作品もそれぞれ違う切り口で「時」が描かれていて素晴らしい。 ジーモン自身を含め、カフェに集う人々の人生は必ずしも順風満帆ではない。皆、夢を抱いては失望を知り、愛を求めては裏切られ、それでも、夢も愛も結局は失われない。破れた夢でも、汚れた愛でも、人々はそれを拾い上げて大事に抱え直し、生きていく。時に諦めも学びながら、それでも、自らの手で掴めるもの、自らの手に飛び込んできたものを、自らの意志で握りしめていくことが人生なのだと、そんなことを思わされた。 カフェを閉じてから市場に行かずにいるジーモンが、下宿先の未亡人を見舞いながらカフェがまだあるかのように語る終章も深く印象に残る。病院を出たあと、ためらってから方向転換して向かった先は市場なのだろうか、それとも市場に背を向けて歩き出したのだろうか。どちらとも取れる余韻が良かった。 人生は、人は、いのちは、数字ではない。血と汗と涙したたる、それぞれ異なる固有の物語を持つ存在である。名前のないカフェを舞台に、流れ行く年月の中のほんのひととき繰り広げられた名もなき人々の人生こそ、「時代」というものを作り上げている礎石なのだ。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved