あんどん書房 "夏帆" 2026年10月4日

あんどん書房
あんどん書房
@andn
2026年10月4日
夏帆
夏帆
村上春樹
絵本作家の夏帆は、編集者がセッティングしたブラインドデートで「ひとクセある」男・佐原と出会う。「君みたいな醜い相手は初めてだよ」なんてことを言って相手の反応を観察するやべー男である。 夏帆はその強烈な印象から逃れるため、「一人の少女が自分の顔を探しに行く物語」を書き上げる。 そんな夏帆の前にある日突然、ブラジルのジャングルからやってきた「ありくい」の夫婦が現れる。ありくいたちは予言のようなもので夏帆を武蔵境へと導いてゆくのだが、妻であるところの雌ありくいがとあるお願いを夏帆に頼み込み……。 という感じで、現実とファンタジー、そして夏帆の描く絵本の三つの世界が不思議な感じに混じり合っていく物語。知人によると『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で言うところの「世界の終り」側の話だということだ。そちらは読んでないから適切かは分からないけど。 読みながらまず思ったのは、親切だなぁということ。例えば「現実」の捉え方に関してはこんな一節がある。 “それは現実に起こったことではあるけれど、たぶんその現実が今ここにある現実とは異なったレベルに属する現実なのだろう。筋道立てて説明はできないが、それが夏帆の確かな実感だった。”(P104) これってもはや作者による「読み方指南」ではないか。多層性を持つ作品に初めて触れる中高生ぐらい向きで書いているのか? いやでも連載は文芸誌だしなぁ。 ここまで親切に書かねばならないほど読者のレベルが下がってるのか…なんて勘繰ってしまう。 ありくいたちと不思議な共同生活(と言っても普段その気配は全く感じられないのだが)を送る夏帆の目の前に現れてくるいくつかの困難(モーターサイクルの男、邪悪なジャガー、シロアリの女王)。複数の現実を行き交いながら、その一つ一つを乗り越えてゆく物語だった。 たぶんこれは物語を書くことについてのメタ創作小説として読めるんじゃないかと思う。夏帆が自らの不思議体験を元にして紡いでいく絵本の世界は、ある程度まで夏帆の手の元にあるのだけれど、やがて彼女の手を離れてオートマチックに紡がれていく。キャラクターが動き出す的な。だから絵本の中のスカーレット・ヨハンソン(猫)も現実(フィクションっぽい方の)に現れて夏帆を導いてゆくのだ。作家にとって物語を紡ぐということもまた人生の一部であり、セルフケア的な意味もあるのかもしれない。(だから絵本の結末はかならず救われなければならない) “お話の中のミソラと同じように、私も力を尽くしてぎりぎりのところで踏みとどまらなくてはならない。何があろうと、たとえ誰ひとり私に感情移入なんてしてくれなかったとしても、決して失われてはならない。”(P214) こういう若者への眼差しには、宮崎駿に近しいものも感じる。それをあくまで説教くさくならないようにやってる感じ。母との和解みたいなところまで説明してたのはちょっと説教くさかったかもしれないけど…。 個人的には最後にもう一度ありくいは出てきて欲しかったな。 本文書体:秀英明朝、ゴシックMB101 装幀:新潮社装幀室
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