はぴ "そいつはほんとに敵なのか" 2026年10月8日

はぴ
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@happy-reads
2026年10月8日
そいつはほんとに敵なのか
喧嘩がしたい。SNS上で安全圏から叩き合うんじゃなく、上下関係で強い方が弱い方の口を塞ぐのでもなく、対等な個人と個人として、逃げずにコミュニケーションがとりたい。 自分自身のちょっとズルい部分だとか、人間関係の悩みとかを通して、「喧嘩をふっかけたい」気持ちだったり、偏見まみれな部分だったりを冷静に分析。 ・・・しながらも、やっぱりステレオタイプだったり生き方の癖みたいなものは簡単に軌道修正できるもんでもなく。 それでも 『いつも自分が被害者の立場だと信じ込んで誰かを一方的に責め立てるだけではなく、わたしも他人を傷つける可能性があると自覚した上で人と関わりたい」。 と碇さんは言う。 「絶対相容れないと思っていた政党支持者へのインタビュー」まで進んじゃうのはすごいな。喧嘩腰でも見下しでもなく、対等に「関心を持つ」ことは可能なんだ。全く共感できないとしても。 🗯️ モヤモヤやイライラを探りながら「敵っていったいなんなんだ」って、あれ?ってなるのがこのエッセイの面白いところなんだけど、私は「共感っていったいなんなんだ」が頭に浮かんだなー。 『「わかります!」と言う人は、わたしの痛みを知りたいのではなく、自分の痛みについて語りたい。 そうなると、元々あったはずのわたしの痛みが無視された気分になる。 わたしは誰かの痛みを自分の痛みで塗りつぶすことを連隊と呼ぶのかどうか、今もまだよくわかっていない。』 🗯️ 政治の話に絡めて、戦争や平和にもチラッと触れてたんだけど、 歴史上多くの戦争は「私たちが被害者」から始まっているってハナシ。被害者意識は相手を悪魔(非人間)化する。そうすると、攻撃が正当化される。 人間には本能的に罰を与えたい欲求もあるからなぁ。 戦争を起こすことはそれほど難しくない。 『国民に対し、我々は攻撃されかけているのだと危機感をあおり、平和主義者には愛国心が欠けていると非難すればいい』(森達也『すべての戦争は自衛から始まる』あらすじより) 先月読んだ『寛容学』は、それを不寛容(残酷さ)として取り上げてたっけ。 「奪われているという感覚が、不寛容を生む」。まさに。 そんでもって、その残酷さを肯定・促進するのが「連帯感」、「共感」なんじゃないかな・・・と思ったのでありました。 思い出した本『共感という病』永井陽右
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