ぐ "遠い山なみの光〔新版〕" 2026年10月8日

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@busy-lake
2026年10月8日
遠い山なみの光〔新版〕
遠い山なみの光〔新版〕
カズオ・イシグロ,
小野寺健
『遠い山なみの光』を読み終わった直後は、正直そんなにわからなかった。 何が起きているのかは分かる。 でも、「で、私はこの話をどう受け取ればいいんだ?」みたいな感じ。 それが、時間が経ってから妙に引っかかってきた。 悦子は、自分の意思で生きているつもりなんだよな。 「自分の意思よ」と言うかのように語る。 でも、その「自分の意思」を眺めていくと、まずはどうも男の都合に合わせている。社会の空気に煽られている。時代の波に翻弄されている。でもそれだけか? じゃあ、彼女は自分の意思で生きていないのか。 それが、そういう単純な話でもない。 本人は本当に自分で選んでいると思っている。 悦子が独白する。 ↑ 悦子は男の都合に合わせて生きているように読める ↑ そんな社会だったという描写 ↑ そんな時代だったという描写 ↑ その全てをわかってて説明しないカズオイシグロ っていう構造がある。 本人が自分の人生について語っている。 その語りは嘘ではない。 でも、その「私」は、社会や時代から完全に自由な「私」でもない。 そしてカズオ・イシグロは、そこを説明してくれない。 「この女性は社会に抑圧されていたのです」「時代が悪かったのです」とか言わない。 でもどうやら何かの犠牲になった人はいる。 これを「本人は社会に操られているのに、それに気づいていない」と単純に読んでしまうと、たぶん違う。 本人には本人の意思がある。 ただ、その意思が、社会や時代から切り離された純粋なものではない。 その両方を成立させたまま書いている。 で、わしが「カズオイシグロ凄え」と思うのは、 他の作品もだけど、一貫して「なんてこと書いちゃう俺凄え」がないところ。 この凄さを説明しないところ。 これを受け取れる人がいるかどうかを考慮に入れず、 文学の可能性に委ねてしまうところ。 カズオ・イシグロは、読んだ直後にはあまり理解できない。 でも、あとになって思い出す。 そして、思い出したときに少しずつ味がしてくる。 好きかと言われると、好きではない。 ただ、このレベルの文学を投げつけてくる作家を他に知らない。
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