
活字畑でつかまえて
@catcher-in-the-eye
2026年10月8日

セリーヌの作品〈第1巻〉夜の果てへの旅
L=F・セリーヌ
まだ読んでる
この作品には人間のろくでもなさのすべでが描かれているのではないかと思わせる力がある。
おそらくセリーヌは人間よりももっと大いなるものに噛み付いている。ゆえに人間を全否定しているように思えていたものが翻って全肯定しているようにも思える。お前の今のドン底のありようは、別にお前のせいではなく、何かの気まぐれにすぎないんだよ。と言っているような。
どうせなら夜の果ての景色を見てやろうじゃないか、さぁ世界よ俺を驚嘆させられるか糞野郎!セリーヌがそう言ってるように思えてならない。ゆえに救いがある。救いのない世界なんてハナから当たり前なんだよ!と。
こんな糞みたいな世界に生まれちまった不幸を
セリーヌは糞ミソに貶してくれる。
「みんながやってる当り前の仕事にはもうしんからうんざりなんだよ••••••いい年してまだ性懲りもなくてめえが笑う番を待っててよ、その番がきたときにゃあ••••••くればの話だがね••••••もうとうにくたばって土ん中さ••••••そんなのはとんまのやることさその、まっとうな仕事なんてのは••••••だいいちおまえさんだってそんなこたぁ百も承知じゃねえか••••••」
「そうして祭と一緒にまた音楽がやってきた思い出す限りの遠い昔幼なかったころから耳にしてきた音楽だ、あっちでもこっちでも都会の片隅だの田舎の空地だの貧乏人が一週間働いたあと出かけてって腰をおろしてわれに帰るとこで絶えることなく鳴り続けてきた音楽だ。天国だよ!と聞かされる。そうして連中のために音楽が鳴らされる。あっちへ行ったりこっちへ来たりして春でも夏でも音楽は一年前に金持ちどもを踊らせた歌をあるときは陽気にあるときは湿っぽく響かせる。そうそれは機械仕掛けの音楽でそいつがそこら中から降ってくるんだ回転木馬からも自動じゃない自動車からもジェットなんかじゃないジェットコースターからも強くもなきゃマル
セーユ出でもない力業師の掛小屋からも髭のない髭女からも寝取られ男の魔術師からもからっぽ卵の射的場裏の安ぴかの手回しオルガンからも。そうそれは一週間働いた人たちをごまかす祭りだ。
そうして瓶詰めビールを飲みに行く、あの泡の立たないやつ!ところが給仕の息がにせの木立の下でそのまた臭いこと。おまけに貰った釣銭の中にはおかしな硬貨が混じっててそのおかしなことと言ったら何週間もたったあとでもまだためつすがめつしたあげく大骨を折って人にそれも物貰いに掴ませるって代物だ。」
「おれは女なんぞ用はねえんだと彼は言ってた、あいつらの素敵なお尻にも、むっちりした太腿にもハート型の唇にも股座(またくまは)にもな、あそこからはいつもなんか出てくるじゃねえか、赤ん坊だとか、病気だとか…・・・・あいつらがにっこりしたからって家賃の代わりんなるわけじゃねえし!だろう? あのおんぼろアパートでももし女がいて月の十五んちに家主に尻まくって見せてやったからって家賃負けてくれるわけじゃねえもんな!」
「やっこさんはもうおれの言うことなんかてんから信じようとしなかった。泣いてた。もう果てまで来ちまってたんだ彼も。もうなに言ってやることもできなかった。人はまったくひとりぼっちになるときがある、おのが身に降りかかりうることの一切のその果てに来ちまったときだ。それは世の果てだ。悲しみさえ、おのれの悲しみさえ自分からはもうなにも答えてくれずだからあとへ引返すしかない、人間たちんとこへ、どんな人間たちだろうと。こうなると贅沢は言っちゃいられない、なにしろ泣くためにだって振出しへもどらなきゃ、人間たちと一緒に引返さなきゃだから。」
「「おれもう自殺したいよ!」苦しみがあんまりひどすぎると思うと彼はそう予告する。それからそれでもなんとかそいつをもちっと先まで背負ってく、まったくなんの役にも立たない手に余る重荷みたいなその苦しみを、訴える相手もいない路上をもちっと先まで。いかにもそいつは大きな複雑な苦しみだった。彼には説明することができなかったろう、その苦しみは彼の教育を超えてた。」
「この男も、おれは知ってたけど、こいつもやっぱり、いつも誰かが現実から救い出してくれることを希ってる生来の卑怯者には違いなかったけど、ところが一方でおれはいったいほんとに卑怯な人間なんてどっかにいるんだろうかと思いはじめてた・・・・・どんな人間にだってそのためになら命を投げ出してもいい、それも即座に喜んでってものがあるんじゃあるまいか。ただいさぎよく死ねる機会が、気に入る機会が必ず現われるとは限らない。
でどっかでのたれ死にってことんなる・・・・・この世にいる限り人間はみんな誰から見ても卑怯者でおまけに臆病者みたいに見えるけどただ自分で納得してるわけじゃない。ただ卑怯に見えるだけなんだ。
ロバンソンも与えられたこの機会には死ぬ気んならなかった。多分別の与えられかたをすれば大いに気に入ったのかもしれない。
言ってみれば死ってのは結婚みたいなもんだ。
この死が彼にはてんで気に入らなかったってだけの話だ。どうしようもないじゃないか。
とすれば彼も諦めてこの屈辱と悲嘆を受容れるしかない。けど今んとこはまだおのが不幸と悲嘆とで心を泥んこに塗たくることにひたすら精を出してた。やがては彼もおのが不幸を整理して、そうすりゃあまた本当の新しい生活がはじまるだろう。そうでもなけりゃ。」
「金持ちはおまんまのために自分で人殺しをする必要がない。連中は、連中流に言えば、人を使う。悪いことは自分じゃしない。金を払う。連中を喜ばすためなら人はなんだってするしそれでみんな御機嫌とくる。貧乏人の女房はすべたなのに連中の女房はきれいだ。これは何百年にも由来する次第の結果だ、化粧なんかの問題じゃない。おいしいものを食べていつも身ぎれいにしてるかわいらしい麗人たち。人間の生活が始まって以来の成果なんてそれだけだ。」
そのほかの人間たちはって言や、みんないくら苦労してもすべったり転んだりとどのつまりはアルコールん中へ落っこちて死体同様生きたまんまのアルコール漬け、成果もへちまもありゃしない。なんてことはもう立派に証明済みだ、どだい大古の昔から色んな動物たちが生まれ、苦しみ、死んでくばかりなのは目の前に見てきたとおりじゃないか、しかもそのあいだほかの動物たちがやってった通りのとこでおんなじ陳腐な挫折を繰り返すほかに、連中にもやっぱり何ひとつ良いことなんてありゃしなかったじゃないか。だいたいそんな仕掛けぐらいとうにわかってるはずじゃないか。はかない生きものの不断の波が世代の沖からひっきりなしにやってきちゃあの目の前でえてくのに、それなのにまだ人は居続けてんだ、なんかを期待して・・・・死を考えることもできずに。
金持の女房、旨いものを食ってきれいに化けてゆっくり休んでる彼女たちは美しくなる。これはほんとだ。つまりはそれだけで充分なんだろう。わからないけど。少なくても生きてくひとつの理由じゃああるだろう。」
「年金を期待する貧乏人にとって待つってことが、通いつめるってことがどんなことか見たことのない人間には、何かを待つってことの、通いつめるってことのなんたるかはわからない。」
「彼らは午後中を何週間でもぶっ通しにみすぼらしい施療院の門口で、雨が降ってるときは敷居際で待ち続ける、パーセンテージへの期待を抱えて、はっきりパチルス性の、本物の痰、〈百パーセント>結核性の痰への望みをかき立てながら。回復は彼らの願いん中じゃあ年金よりずっと後のことだ、そりゃ無論回復のことだって考えちゃいるけど、ほとんどかすんじまってて、年金生活者になりたい、どんなしがないんでもいい、どんな条件でもいい、ただただ年金で暮せるようになりたいという望みに彼らはすっかり目が眩んじまってた。彼らにはこの頑迷な最後の望みを別にしたらもうほかの願いなんぞは取るに足らない小さなものばかりで、だから自分の死でさえもがそれに較べりゃなんかえらくどうでもいいような、せいぜいがスポーツの事故くらいのものんなっちまうわけだ。死なんてせいぜいが何時間か、うまくすりゃ何分間かの問題にすぎないけど、年金となるとこいつは貧乏とおんなじだ、なにしろ一生続く。金持連中の酔い方はまた別で彼らには保障へのこんな熱中ぶりなんて理解できない。金持だってことは、また別の酔いだ、」
「金持を喜ばせるのは簡単だ、たとえば鏡が一枚あったらそれで自分の顔を拝ましとけばいい、世の中に眺めて楽しいものなんて金持よりほかにないからだ。連中を元気づけてやろうと思ったら、十年ごとにレジォン・ドヌール勲章の位をひとつずつ上げてやりゃあいい、年増女のブラジャーの穴みたいなもんだ、そうすりゃあと十年はそれに気をとられてる。」
「番を待つあいだ彼らがおたがい同士、おれがいるとも知らないで話してんのを何度か耳にはさんだことがある。連中おれのことであとからあとから聞くに堪えない悪口と想像も及ばない出鱈目を並べたててた。そんなふうにおれをこきおろすと連中はなにか不思議な勇気が薄いてくるらしかった、それはちっとでも非情でしぶとく邪険になるために、そうして永らえ、持ちこたえるために、是非とも必要な頭気だった。いやまったく、こうしてくさしたりけなしたりんだり脅かしたりするとほんとに彼らは元気が出てくるんだ。」