綾鷹 "C線上のアリア" 2026年8月14日

綾鷹
綾鷹
@ayataka
2026年8月14日
C線上のアリア
中学で両親を亡くした主人公の美佐は、育ての親である叔母の弥生の認知症発症を機に、20年ぶりに故郷の山里へ戻る。
かつて美しかった叔母の家は「ごみ屋敷」と化しており、片付けの最中に美佐は隠された金庫を発見。金庫の中身や日記から、介護や女性の重圧、そして家族がひた隠しにしてきた過去と秘密が明かされていく介護ミステリー。 湊かなえさんの本はあまり読めていないのだけど、「イヤミス」という言葉の印象が強すぎて、この本は「全然イヤミスじゃない、、!」というのが読み終わっての第一印象。笑 全体を通しては感情や固定観念が入るからこその介護の重さ・逃れなさが描かれている。 最後は世間の常識に縛られる必要はなく、いろんな形があっていいという前向きになれる終わり方だった。 ノルウェーの森に合わせて、人生を上下巻と表現しているのも素敵だった。私が関わっているのは相手の物語の一部だけ。それでも親しくなり、温かく関われるのだという希望の持てる物語だった。 ・私は手元の緑を眺めた。レコードを聴いていた時の感覚を思い出した。心が落ち着く。 ー私は、今まで緑色はあまり好きじゃなかったけど、この緑はずっと眺めていたいかも。枕完とか勉強机の棚に立てかけておきたい気がする。 そう言った途端、彼の顔が輝いた。 ーだろ、だろ、だろ。でも、せっかく買ったんだから読まなきゃもったいないかなって最後まで読んでみたんだ。そうしたら、この緑色がぴったりの内容で。三回繰り返して読んだくらい、すばらしかったんだ。 ー下巻だけでも? ー上下巻本の上巻は、作品の世界に入るドアがいくつか用意されているようなもので、下巻 にドアを見つけられたら、必要ないんじゃないかな。 まったく納得できない言い分だったが、上下巻論はまだ続いた。 ーたとえば、自分の人生が上下巻の本だと想像してみて。上巻の舞台がずっと同じ場所とは限らないし、重要人物だと思ってた人が最後まで登場し続けるかどうかもわからない。浜辺さんは高校入学までは他県に住んでたって、誰かから聞いたけど、この町に来てからが下巻だとしたら、別に僕は浜辺さんの上巻を知らなくても、下巻からの浜辺さんと友だちになりたいと思うんだ。洋楽のこととか教えてもらいたいし。まあ、変人扱いされてる僕とは、あまり関わりたくないかもしれないけど。 そう言って彼は少し照れたように俯いた。私もつられて視線を落とし、その先には緑色があっ た。 ・「バレてるなら、一つ言っていい?」 「何?」 「菊枝さんのおむつ、替えてあげて」 邦彦の表情が凍りついた。邦彦に会ったら言わなければならないと思っていたことだ。 「朝行くと、夕方帰る前に交換したのが、そのままだってわかるから」少しかぶれもできていた。 「男に母親の下の世話はできないよ」 勝手な言い分なのに、不思議と腹は立ってこない。生理的な感情は仕方ないのかもしれない。 「でも…・・…・・」 責任はある。 ・悪口を言うのは、自分のみじめさを認めることになる。姉さんの口癖だ。どんな状況でもまっすぐ前を向いている姉さんを見習って、姑のことは、誰にも話さず、この日記にすら書かないようにしていたけれど、状況を伝えるくらいならいいのではないか。 悪意がこもらなければ。 「戦争を体験した人は、簡単にその時期を人生から切り離せないのかもしれませんね。うちの場合は、お義母さんは当時、大阪に住んでいて、空襲の際に右足を負傷して、片足を引き摺りながらの生活だから、私もいろいろと補助しないといけなくて、身軽に動ける服装を心がけているんです」 事実の半分だけを話した。もう半分は、家でおしゃれをしていると「出かけられない私への当てつけなの?」とか「脚を隠さなくていい人は幸せね」と言われるからだけど、それは黙っていた。 ・弥生さんも、菊枝さんも、広いお屋敷に住んでいるのに、檻の中に閉じ込められたかのような窮屈な日々を過ごしている。 現在の自分と弥生さんや菊枝さんを重ねながら読んでしまったが、二人がまだ二〇代ということは、私は姑の年齢と同じくらいなのではないか。 この後、日本人の平均寿命、特に女性はぐんぐんと延びていく。 二0代で結婚し、抑圧された日々が続き、そのまま介護に突入。 いったい誰のための人生なのか。 仮に跡取りを産んだところで、当然のことだといわんばかりに褒められもせず、大切にされるのはせいぜい子どもだけ。それどころか、育児で疲れても、家事や農業などの家業を休ませてもらうことができない。 ー私が若い頃には、一日中、子どもを背負って、洗濯も飯炊きも、野良仕事だってしていたんだ。 突然、頭の奥によみがえってきたのは、子どもの頃に同居していた祖母の声だ。 母親が大変な思いをしていたことは認識していても、その環境を離れてから細部を思い出すことがなかったのは、自分に直接ぶつけられなくとも心の表皮を切り裂くような言葉を、聞かなかったことにしたいと願うあまり、自然とその言葉が溢れていた時期の記憶に蓋をして、鍵をかけていたからではないか。 ぽっかり開いたこの蓋は、どうやって閉じればいいのだろう。再び、鍵をかけることは不可能なのではないか。 ・「前にテレビでニュースになっていたんでしょう?合唱のお友だちがあの水を飲みたいって言うから、全部あげたの。・・・・・・美佐ちゃん、あの水を飲むのを、もうやめてもいい?大事なことを忘れたり、施設の人に迷惑をかけたりしてしまうけど、寝る前に記憶を失いたいと願うことだけは、もう二度としないから。お願い」 忘れていい。つらかった日ばかりが残っていくくらいなら、楽しかった日も同様に忘れて、空っぽになったに新しい砂を迎えればいい。さらさらとすべて落ちていったとしても、それは穏やかな毎日を過ごしているという、幸せの証だ。 ・弥生さんと菊枝さんの交換家事は悲劇的な結果で終わったものの、発想は悪いものではないと思う。他人だからこそ、受け入れられることはたくさんある。 風邪を引けば病院に行く。髪が伸びれば美容院に行く。昔は家で行われていたことも、現在では、専門家に任せるのが当たり前になっているのに、どうして、育児や介護は、家庭内で主婦が請け負うことだと、多くの人に認識されたままなのだろう。 CARE(介護)とCHAIN(絆という束縛)は同一線上にあれど、同一のCODE(体系)ではない。
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