みーる "「国語」と出会いなおす" 2026年10月8日

みーる
みーる
@Lt0616pv
2026年10月8日
「国語」と出会いなおす
文学研究者の敷居の高さが苦手だから中高一貫の高校の教諭をしているという筆者。この時点でなんだかもう信用できそうだ。 「国語」と「文学」は共通するところもあり、定義付けは難しいが、あくまでも筆者のスタンスは「国語」=学校で読む小説と定義されていた。第一章でそのようなスタンスを示してくれたのはありがたかった。 第二章では、夏目漱石の「こころ」をスポーツ科の学生たちに向けて授業をしたときのお話がメイン。特に印象的だったのは、教科書に採用される文学作品の条件として、「構造のわかりやすさ」が重視される点だ。「こころ」は作品の一部を抜粋しているが、私とKと静の三角関係という非常にわかりやすい「枠」があり、スポーツ科の生徒もその構成を捉えることで「こころ」を読んでいた。 その「構成」捉える手立てとして、要約や人物相関図、単純化などが挙げられる。自分が授業をする際、心情の変化や表現の工夫などに気づかせたいあまり、物語の大枠を掴ませる手立てが弱いときがある。話の大枠は一度読んだだけでわかっているだろうと。しかし、そこにこそ罠があり、40人が同じ日本語を追いかけていても同じ物語を読めているとは限らない。物語の「構造」を掴ませるために丁寧すぎるくらいに時間をかけて取り組ませるのも大切だと思った。 特に、近年の生徒の読解力というか物語と向き合い理解するための集中力の低下を考えると、こちらがもう少し寄り添うところなのだろう。 矢野さんが考える授業の組み立て方も参考になった。第一段階として、まずは物語の「構造」しっかりと掴ませ、一見、わかったつもりにさせる。そして、第二段階として、物語によってもたらされる期待を裏切らせること。「こころ」でいえば、Kが自殺したのは、私が静と結ばれることを知ったKがそのショックで行動を起こしたと決めつけるのではなく、Kが信仰深い性格であったこと、向上心のないやつは自分なのだとK自身が思ってしまったこと、その自分の信じていたものを裏切ってしまったことによる行動だという視点。このように、「構造」的には三角関係のこじれが原因のように思えるが、よく読むとそれだけが原因ではないことが見えてくる。この授業ならば、スポーツ科の生徒も驚きがあるだろうし、文学って楽しいなと思えるだろう。 第三章では、「少年の日の思い出」を「語り手」の問題に焦点を当てることで作品の魅力が見えてくるという。額縁構造(もどき)であり、客=僕という「語り手」の構造は中1にしてはやや難解である。教育出版の教科書の「語り手」の解釈は興味深い。客=僕が私に話した内容を私が語りなおしているという解釈。物語後半の僕の葛藤にも私の解釈が含まれているという大変ややこしい解釈だ。確かにこの教材の最も大きな特徴として、盗みを働いてしまう瞬間の僕の心の揺れ動きが丁寧にかつ臨場感を持って表現される部分だろう。その点において、語り手が大人になった僕が話しているとするならば、それはそれで怪しい部分が出てくる。盗む気はなかったという割に用意周到感は否めない。ここで、中動態という考え方を筆者は持ち出すのだが、正直、本著の中で最も興味が湧いたのが中動態である。「少年の日の思い出」を読み解くための手段として提示された1つの要素に過ぎないのだが、この中動態の考え方に興味が湧いたので即座に國分さんの中動態についての本を買ってしまった。 というように、思いもよらぬところに思いもよらぬ出会いは転がっているのだと少し嬉しくなった。まさにセレンディピィティである。 第四章以降は未読だが、それなりに楽しめた一冊であった。
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