
めい
@meiji_chan
2026年10月9日
消滅世界
村田沙耶香
読み終わった
最初から最後まで靄の中にいるような、ふわふわとした掴みどころのない読み味で、内容もあいまって夢の中にいるようだった。
「家族」「恋愛」「セックス」が完全にバラバラに切り離されている世界が最初はあまりにも馴染めなさすぎた。現代とは真逆すぎる価値観に「近未来感」を覚えるのに、男性の育休が取りづらかったり、同性婚が実現していなかったり、妙なところはリアルなまま。そこで「あ、この世界って、近未来からさらに分岐したパラレルワールドか」と気づく。
最初はまったく馴染めないのに、読み進めるにつれて雨音さんと一緒に浸食されていく。だからこそ?ラストシーンは目を見張った。大変態じゃん!!と思ったけど、現実世界でする方が大犯罪だ、そういえば。洗脳されている、わたしも!
村田沙耶香さんの作品はどれも、わたしの頭の中の主人公はご本人ふうの、やわらかで物静かで、どこか物憂げな女性のイメージで進む。ご本人のようなかわいらしく優しい声で、でも淡々としゃべる。だからこそ、余計にギョッとしてしまった。
よく「結婚したら『家族』になってしまって、セックスレスになる」話があるけど、「薄れていく」それとはまた違う。恋人とは結婚するものではなく、家族愛と恋愛を最初から明確に分けている世界。
性愛がメインで描かれているけれど、もっと広く「愛」の話だとわたしは思った。
雨音さんと朔さん夫婦は絶対にセックスはしないけれど、お互いの幸せを思い合い身を寄せ合って生きていくふたりの間にあるのは間違いなく愛だったと思う。
雨音さんに「呪いをかけたのよ」と言う母は、この世界では前時代的な“変態”だったけれど、このお母さんなりに娘に最高の幸せを掴んで欲しいと願うこと自体は、やや歪んではいるものの愛だと思う。こういう「私が思う幸せを娘に」という歪んだ愛を持つ母親がいるのはどんな世界線でも必ずいるものだし。ただこの物語では「愛し愛されて子供を持つ」というのが、「父親と性行為の末に子供を持つ」くらいの異端思想なだけで。
二次元のキャラクターを恋人に持つのも、性的指向の1つとして「フィクトロマンティック」と名前がついているし、恋人とまではいかずとも、恋人やパートナーとは別腹で熱烈に愛している推しを持っている人は珍しくない。わたしだって恋人ではないけれど、子供の頃からずっと一緒に眠っていて心からかわいがっているぬいぐるみのピカチュウのことは小さな弟のように愛しているし(家族も一緒にかわいがってくれているからありがたい…)、「モノへの愛」は確かにある。それがヒトとほぼ同等の扱いなのも、今の世の中と比べてもそこまで異質には感じない。そういう人もいるよな、くらい。
ちょうど帰り道にジョジョ4部の億泰の痛バを持っている女性を見かけて(億泰の彼女だ!?)と思ったところだし。億泰が彼氏でもいいよね。めちゃくちゃいい奴だし、億泰。
娘の雨音さんが母に対し、「もうそんな時代じゃない、時代は変わったの」と反論する場面は、いまでいう同性パートナーやアセクシュアルなどの性的マイノリティや選択的シングルマザーの話を彷彿とさせた(人工授精も)。世の中では大多数が受け入れている(と思われる、現代では)けれど、親世代の一部は頑なに反対するあの感じ。世界線が変わっても、みんな「途中」だから。変わりゆくことについていける人と、いけない人がいるんだ。
そして、「ついていけること」が果たして本当に「正しい」のか、という問いが残される。
もし、この物語のような「楽園」を望む人々が実はいまもいて、それが実現し、その箱庭の中ではこれこそがいいものだ、みんなが幸せになるのだ、という価値観に変わったとしたら、わたしはついていける人になれるだろうか。何も考えずに長いものに巻かれてついていくのが楽だし、葛藤がないぶん幸せになれるだろう。楽園の中にあるのはきっと確かに愛ではあるし、きっとそれによって齟齬や苦しみはない前提なのだろう。あるのは過去にとらわれた人の違和感だけだ。雨音さんは、違和感をかなぐり捨ててしまったからああなったのか?それとも、破壊の手段なのか?誰かと語り合いたい本だった。
でも映画はあんま観たくないかな…世にも珍しい、一ミリもエロくないエロシーンをどう映像化しているんだろう……
そして、いちばん「途中」の奴。
そうだよ解説の斎藤環さんな。なんなんだアンタ。なんなんだ!!!ひっこんでろ!!!
ほんっっっっっとにこのじいさんどっっっこでもチンコの話ばっっっっかしてやがんな!!!!!!アンタの好きなことじゃなくて村田沙耶香の解説を書かんかい!!!
のっけからなんだ。コンビニ人間の主人公がアセクシュアル?生まれ持った性的指向だけであの主人公を分類できるんだったら芥川賞取ってないだろ。
オタク男と腐女子を引き合いに出して「女性の欲望は所有よりも関係に向かう」?だったら雨音さんがプラダのポーチで40体もの恋人を所有していたのはどうなるんだ。セックスを拒んだ水人との関係は?雨音さんと朔くんはどちらがどちらを所有している、どういう関係なんだ?そこまで解説してみなさいよ。
あとね、「女性の描き手による両性具有やジェンダーレス」には「ジェンダーギャップ批判という政治的意図」は含まれておりません!含んでいる人もいるかもしれないけど、大半は「萌えるから」だよ!そんなこともわからんのか。「女」エアプすぎるだろ。
言うに事欠いてこの物語の「男性も女性も子供を産めるようになった世界」のことを「女しか存在しない」とまとめやがった。「子供を産む=女」であり「女=子供を産む」なんですね?じゃあそうなんだろうな、アンタの中ではな!一体何を読んだんだ?本当に読んだか?男女二元論でしか物事を語れねえのか?まったく全然これっぽっちもわかってない!
挙げ句の果てには「村田沙耶香は性愛に対して発達障害的な視点をとる」だ?何食って生きてきたらこんなに全方位に対して無礼極まりない言葉を羅列できるんだ!
「途中」すぎるだろコイツ!!一字一句写経してから出直してきな!
もし「ついていけない人」代表としてこの人を解説に選んだんだとしたら、めちゃくちゃ最高のセンスだけどね。