
asuka
@ask_510
2026年10月11日
眺めのいい部屋
エドワード・モーガン・フォースター,
西崎憲
読んでる
原作を読んで、ちょっと(だいぶ)印象が変わった。映画でジョージがルーシーに思いの丈を話す台詞には、次の重要な部分が抜けている。
「彼は君を守り、君とお母さんがショックを受けるように促していた。ショックを受けるかどうかを決めるのは君たちなのに。これもまたセシルらしいことだ。女に決めさせないのだ。ヨーロッパを千年もの間このままにしておいたのはセシルのような人間だ。彼は一時も休まず君を作りあげ、どんなことが魅力的で、楽しくて、淑女らしいかを君に教えている。そして君は、君たち女の人は、自分の声に耳を貸さずに彼の声に聞き入るんだ」
「僕は君を愛しているーー彼の愛し方よりもずっとましなやり方で」
「そう、ずっとましなやり方で。僕は、腕のなかに君を抱いている時でも、君には自分自身の考えを持っていて欲しい」
原作者であるフォースターがロマンスという形態を借りて言いたかったのは、むしろ映画では削除されたこの部分だったという気がしてならない。これはどちらが「真実の愛」かという問題ではなくて、愛し方の問題なのだと思う。
ルーシーはセシルの愛し方を受け入れようと努力していた。だってセシルは本当に愛してくれていたから(ルーシーも愛されたいという気持ちがあったから)、それに応えるのが(当時の社会的背景からしても)正しいと。でも、セシルの愛し方を必ずしも受け入れる必要はないのだと、ジョージは言った。だからルーシーがセシルは私を愛しているし私もセシルを愛していると言ってジョージを追い返したのも真実だし、そしてまたセシルと婚約破棄したのも真実だった。女性が真実の愛に気付く物語、ではなくて、女性が自分自身で選択する意思を得る物語、なのだろうと思う。

