
かも
@magazinebook
2026年10月12日
水たまりで息をする
高瀬隼子
読み終わった
あるきっかけから水道水に触れられなくなり、お風呂に入らなくなった夫・研志と、それを受け入れることしかできない妻・衣津実。お風呂に入らなくなったこと以外は元のままの生活のなかで、夫の体臭と周囲の環境だけが変化していく。
明らかに夫は心を病んでいるけれど、衣津実は幼少期に思いがけず聞いてしまった両親の会話のトラウマからか、それを認められず、病院に連れて行ったりもしない。自分だけは夫の理解者であり、受け止めることが愛だと思い、風呂に入らない夫も自分は受け止められるから自分は夫を愛していると言えると安心し、安心してしまう自分に嫌気が差す。愛ってなんなんだろう。
衣津実は研志を愛していたのか、最後までわからなかった。研志はなんとなく結婚したいと思ったときにふとしたことから知り合った人で、「そうした方がいいから」と子どもを望んだものの、治療の末に断念する。夫のことをやさしいとは思っているが、「愛さなければ」という強迫観念のようなものを持っていたように感じた。
衣津実は昔、台風の後の川で拾って家で飼っていたが、家を出るのと同時に自分の手で捨てた魚・台風ちゃんを夫と重ね合わせる。台風ちゃんは拾ってきただけでほぼ母親が面倒を見ており、その母親は台風ちゃんを夫と義母への復讐の道具にしていた。
衣津実は家庭から出たことのない母親と違って上京し、東京生まれの先進的な考えを持つ夫と結婚するが、ひとつの歯車が狂ってしまったことから母親の再演をすることになる。
でも、どの時点でどうしたらよかったのか、私にもわからない。
夫を無理やりにでも風呂に入れ続ければよかった?お風呂に入らなくなった段階で病院に連れていけばよかった?子どもを諦めなければよかった?そもそも研志と結婚すべきじゃなかった?
小説で順序立てて語られるから、いろんな選択肢は思いつくけど、自分が衣津実だったとして、そのときに適切に行動できるかは自信がない。
夫は狂っているのに自分は狂えない。その境界線はすぐそこにあって、細くてすぐにでも飛び越えられるのに、自分は一線を越えられない。狂っている人に寄り添うことの孤独が描かれているように感じた。
