DN/HP "サブリナとコリーナ" 2025年3月6日

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2025年3月6日
サブリナとコリーナ
サブリナとコリーナ
カリ・ファハルド=アンスタイン,
小竹由美子
「彼女の名前ぜんぶを」という短編 年上の夫の子を妊娠していると知った日、昔の恋人で今も愛しているマリファナ調剤薬局のマネージャーと彼のローダウンしたシボレー・ノヴァに乗り込み、ボタニカで堕胎の薬草を買い、貨車にグラフィティを描くために鉄道操車場に忍び込む。コロラド州デンバーでの話。 「アリシアは自分の名前がそんなに遠くまで行くという考えが気に入った。」 「作業は奇妙な感じだった。アリシアは仕事で数えきれないほどデザインをやっていたが、列車となると、人知を超えた動力が彼女の手を動かした。自分のサインが、あたかも汚い金属の下から自分の手で露わにしたかのように現れるのを見るという感覚をアリシアが経験したのは、一度ではなかったし、ひとつの場所だけでもなかった。」 文芸誌で知って読みたかった短編小説の目当てのシーンは「孤独の要塞」のあのシーンみたいにとても良かった。「ネイビー・ブルーの署名」と「湿った紫色の返事」。 ここ(と全ての短編)に書かれているのは、土地や歴史、社会と”民族“、コミュニティ、それに性別、たくさんのものが交差した地点に立つ彼女たちにまとわりつく哀しみや悲劇、やるせなく、ままならない、語られてこなかった日常。 妊娠を知り同時に堕胎を決意した日、元恋人とグラフィティを描きに行くのも件の文芸誌では「奇怪かつ切実」と書かれていたけれど、それも含めてやはり日常。そして、そこには小さいかもしれないけれど喜びや楽しみ、幸せの瞬間もたしかにあって、伝統文化に度々救われることがあるように、ユースカルチャーやアートがそれをもたらすこともある。 そのシーンの終わりには選択と別れがあったけれど、貨車に書き始めたグラフィティも、彼女の人生も、物語だってまだ「終わっていない」から、そこには可能性と希望もある、そんな気がした。そんな風に思いたかった。 こういう短編集を読むと、いつもルシア・ベルリンの名前が思い浮かんでしまう。その土地に住み続けるか、各地を転々とするか、その違いはたしかにあるし重要だけれど、たくさんのものが交差している地点に立っている、そこから世界を見ているという点では共通するものがあるのでは、などとも考えてみている。 幾つかの短編は、デンバーとは少し離れているけれど、サン・アントニオで聴かれていたであろうチカーノ・ソウルを集めたコンピレーションを流しながら読んだ。とても良かった。物語のなかでもこんな音楽が流れていたら最高だな、と思ったけれど実際にはカントリーがよく流れていたりして。そして「スティーリー・ダンの(…)音楽はわたしたちの暮らす地区のサウンドトラックみたいだった」なるほど、と思ってその後に言及されている「ダーティ・ワーク」を聴いてみると、こちらもなかなか良かったのだった。 これはチカーナ文学。そう言い切ってしまいたい気もしてしまうけれど、それもまたラベルを貼ることになってしまうから、これはとても素晴らしい短編集。そうとだけ言っておきたい。
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