中根龍一郎 "ルソーと人食い" 2025年4月12日

ルソーと人食い
読み終えた。コロンブス以降さまざまな仕方でカリブの人々は偏見にさらされ、その偏見へのある種の逆張りの一環としてルソーはカライバ人たちを理想化し、日本の教育論はルソーを理想化し、そのところどころに誤読があり、議論の拡張があり、矮小化がある。 われわれがわれわれでないものを通じてわれわれの手元に何かを持ち込もうとするとき、われわれでないものが持っているものを、ほんらい自分の取り分であったかのようにして振る舞うことがある。そういう架空の喪失のプロセスのなかで、しかし、われわれでないものが持っているとされるもの、それ自体が、実は見なしや理想化、空想の産物であることがある。そうしてわれわれは時にどこにもなかったものを取り戻すことがあり、かつてあったことはないものを回復することがある。伝承にもアイデンティティにも擬制が忍び込む。そのプロセスは面白い。ブラジルで民族的アイデンティティを「人食い」の歴史に求めた芸術運動「人食い宣言」、その源流にあるブラジル文学のインディアニズモの話は興味深く読んだ(ブラジル先住民になんらかの人食いの習慣があった、というのは、一応歴史学としても共通了解であるらしい)。 章立ては全体的にけっこうアンバランスで、ルソーとカリブの関係に関する言及は実はそれほど多くなく(そもそもルソー自身がまったく生のカリブ人と接した形跡がないのであまり言及しようがない)、コロンブス以降のカリブの人々が植民地支配を通じて築いてきた苦しい歴史や、カリブの人々についてのヨーロッパの荒唐無稽な(しかし一定の影響力を持った)報告、カリブとヨーロッパ宣教師の交流の研究が大半を占める。セント・ビンセント島のカリブ人とフランス入植者の連れてきたアフリカの黒人奴隷が溶け合うことで生まれたブラック・カリブの歴史、やがてイギリス領となった島で、フランス語を習得したブラック・カリブの長が率いた大規模な反乱(それもまたフランス革命による奴隷解放を受けた、大陸側の影響によるところが大きかった)、そしてイギリスに敗北したことによるブラック・カリブの島外追放のくだりは坦々と書かれるものの非常に目を引いた。そしてホンジュラス沖のロアタン島に辿り着いた人々の子孫が、実はカリブの記憶を民族伝承にとどめるガリフナ人である、という歴史の語りには胸を打たれるものがある。しかし、このあたりになってくるともうルソーとも人食いともぜんぜん関係がない。 カリブの人々がヨーロッパとの交流のなかで支配者の言葉を得て、新しい概念を得て、自分たちを変質させながら生き延びていく。そのプロセスは苦しいとともに興味深い。私たちはどのように言葉を得て、どのように言葉を失い、何を記憶し、何を忘却するのか?
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