
itshin
@it_shine
2026年10月13日
ふたりの読書会
向井和美
読み終わった
本によって、人が変わっていくところが快感なのではないか。どうしてだろう。そうして、読んでいる自分の読み方が変わっていくのも快感というか、心地いいことなのではないか。そういうことがしたいのではないか。本を読むことを貴重にしたいというか。厳かな気持ちで読みたいという気持ちがあるのではないか。もっと、貴重なものとして読みたい気持ち。請うて読むというか、読書することが当たり前ではないように読みたいのではないか。当たり前じゃないぞ、と。本によって変わっていくために、本をもっと丹念に読まなくては、一字一句逃さずに、濃い読書をしたいと思うのだ。焦がれるように、これを逃したら、一生読めないかのようにして。読んで考え、書く。書きつつ、読んで考える。そのことの、深度、深さのようなことを考えずにはいられない。頭が良くなりたい、ということではない。真摯に読みたいのである。そういう欲求があるから、この本、大矢さんが刺激になる。なんと丹念に読んでいるのか。そんなふうに日々読んでいるのか、自分に疑問を持たずにはいられない。読み流してしまっていないだろうか。感じたことを言葉にする、ということだって、そう簡単ではない。人と意見を交換することによって、本の読み方が立体的になる。そういう読み方もできる。そうやって読む。文章を読む、本を読む、ということ。
> 本のなかにはさまざまな人物が登場してくる。善人もいれば悪人もいる。そのだれもが少しずつ自分自身のなかにも存在する。物語を読めば自然と登場人物に感情移入するし、さまざまな立場に身を置くことができる。本を読むことは他者の気持ちを想像すると同時に、自分を客観視することでもある。自らの内面を言語化し俯瞰するのは、受刑者にとっても、そしてだれにとってもきわめてたいせつなことだと思う。
(p24)
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> 本というものは善人にも極悪人にも、著者のそして編集者の方々のその本への想いや熱量はまったく同じ量で届きます。僕のところにも、この塀の外にいる方々に対してと、まったく同じ顔をして届いてくれます。そのことが僕はとても嬉しいのです。だからこそ、本を裏切ってはいけない、そんな気持ちになります。そしてその本を大切に読み、文章の中から何かを見出そうとしています。
(p70)
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> 言葉では言い表せない心情、心にストンと落ち、気付きを与えてくれるそんな言葉が本には隠されています。そして、これから歩んでいかなければならない道をどのように歩んでいけばいいのかわからない僕に、本は羅針盤となり道標となってくれます。
(p71)
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> 「あなたの胸を騒がせる事柄について、とりわけあなた以外のほかに誰も気にしていないことについて、書きなさい」という編集者からのアドバイスを受けて、スキーターが自分にしか書けない物語を書こうと思いつく場面。そこに目をつけられたのはさすがです。
> (p78)
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> 僕はよく「この一文と出会っていたら」という言葉を書きます。それはやはり、犯した罪を、奪った命を、そして自身の人生を悔やんでいるからです。ですが、五年前、十年前ではなく、今だったからこそ、その一文のその言葉が語りかけてくれる意味がわかるのだと思います。いろいろ考えるとそれは偶然ではなく必然であり、奇跡なのです。
(p101)
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> 人間だれしも、なにかを辞退したり断ったりするのは相手に伝えづらく、できればなにも言わないまま逃げ出したいと思ってしまいます。その気持ちもわからないではないし、もしかしたらそのかたは、返事を出さずに無視していることを内心は心苦しく思っていらしたかもしれません。結局、断るべきときにどういう態度を示すかで、その人の人間性がわかると私は思っています。
(p166)
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