
シクロ
@sicrobei
2025年4月12日

手段からの解放
國分功一郎
読み終わった
面白く自らに繋がることも多くあるだろうと感じた一方で、まだじゃあ何をどうしようというところまでは思い至っていない。以下箇条書き感想。
それ自体が楽しいということが無い状態が恐ろしい。その恐怖の一つの形として、老後することもなく、ただ時間がある状態っていうのが自分の中にはある。
目的と手段が溢れているのが社会であって、それらが自分が選び取ったものであって、その中において行動そのものを楽しめることは良いのではないか。
パリッコさんみたいなアティチュードが第四象限的なお酒との付き合い方なのでは。
思い出すことが色々ある。
元妻が家を出ていった日の日記から抜粋。"とにかく飲みたかった。だけど、酔うために飲むことは絶対にしたくない。絶対に食べ物と飲み物両方を楽しみきってやる。そういう気持ちだった。"
ライブに行った時に、はて、今は踊らされているのだろうか踊っているのだろうかと疑問に思ったとき。曲が始まった瞬間に気づいたら前の方に走って体を動かしていた時。
本を読むことそのものを楽しむこと、何かのために本を読むこと。「本好きなんですね」と聞かれて真っすぐに「はい」と言えない時。
ただ散歩をしていたはずなのに、生活リズムを整えるために散歩をするのが良いですと言われて、何かモヤっとした気持ちが生まれた時。
純粋に味わうこと、音を楽しむこと、そこに差し挟まれる不純さ。
気づいたら〇〇している、時間が経っているような感覚は行為そのものに快適さを見出している状態で、手段からも目的からも解放されている。






