
ジクロロ
@jirowcrew
2026年10月20日
精神の生態学へ(下)
グレゴリー・ベイトソン,
佐藤良明
読んでる
聖書の中で最も厳しい言葉は、聖パウロがガラテア人に宛てた、「神はあざむかれない」という言葉だろう。人間が、人間を包むエコロジー全体と、どのような関係で結ばれているかということを、この言葉は鋭く突いている。環境汚染や資源搾取の罪について、それが些細なものだとか、悪意はなかったとか、善を為そうとしたゆえのことであったとか、「自分がやらなくても、きっと誰かがやったことだ」とか申し開きをしても無駄である。生態系のプロセスは、あざむかれない。
(都市文明のエコロジーと柔軟性)
「神はあざむかれない」、
「生態系のプロセスは、あざむかれない」、
これらは、
事実は事実として永遠に残る、
を言い換えた表現であると捉える。
「神」や「生態系」は、一人の人間、一匹の生物の力の及ばない力であり、秩序なき秩序。
とすれば、
それらをあざむきようのない「事実」とは、
ひるがえって「神」や「生態系」にとっての
「ゼロではない可能性」という力を秘めているとも
言えるのではないか。
「ゼロでない可能性」とは、目的意識よりも
目的意識のない自然体のほうが、値として大きいのではないか、という仮説のもと日々を過ごしてみたいという思いが、この一文から芽吹いてくる。

