ni "墳墓記" 2025年4月13日

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@nininice
2025年4月13日
墳墓記
墳墓記
高村薫
外は春雨。静かな午後。 『新潮』での連載を読んでいた時から、こんな夢のような作品を新作として読むことができるなんて、なんて素晴らしいことなんだ、感謝感謝と思っていた。それが一冊の美しい本となり、わたしの手元にある。 御簾越しに泰然とした後白河院の立ち姿があり、院は扇子をかざしながら、ゆらりゆらり声の舟を漕ぎだしてゆく。水面にゆるやかな抑揚の水紋が生まれ、ときおり光を反射しながら前後左右に波打つように広がって、ゆったりとスイングするそれは、声そのものよりある種の歓びの微熱、あるいは暖かな日差しの膨らみを男の耳に運んでくる。ああ、自分がもっと素直な人間だったなら、それこそささら浪立つように仏を感じ取るのかもしれない。 古典を愛するものにとって、これほど夢のような一瞬はない。今はもう絶対に聞くことのできないその声で、その歌や言葉を聞いてみたい。歓びの微熱。暖かな日差しの膨らみ。わたしもそのようなものを感じたくて、何年も飽きずに和歌を眺めているのかもしれない。 そうだ、和歌を眺めるにも、歌の中に言葉として顕れる色や、空気、音などに、もっともっと耳を傾け、見つめ、じっくりと味わう必要があると気付かされる。実朝の黒、雨の降る空の昏さ、靄、霞、海、風。 『墳墓記』を手元に置きつつ、また『太陽を曳く馬』を読む。高村作品の中でも特別に愛しているから、というわたしの主観的な理由だけでなく、この二作品はどこか繋がっているような気がする。じゆうらっか。
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