
くにっち
@kuni
2026年10月26日

母を失うこと
サイディヤ・ハートマン,
榎本空
読み終わった
作家でコロンビア大学の教授の著者が、大西洋奴隷航路をたどって自分のルーツのガーナに旅する、紀行文、批評、思想。
考えさせられる本でした。一言でいうと、アフリカ系アメリカ人の寄る辺なさについて書いた物語だと思いました。
興味ある方は、アフリカ系アメリカ人がアフリカでのルーツを探し当ててアイデンティティをロマンチックに回復するアレックス・ヘイリー・著『ルーツ』と読み比べてみると面白いと思います。
著者は奴隷の子孫としてアフリカにルーツを探しに行きますが、アフリカで色んな国の人と会話をしてもかみ合いません。
アフリカ系アメリカ人たちは母国のアメリカでは抑圧されてきた人種差別の被害者ですが、現地のアフリカ人(ガーナ人)からすると、また金持ちのアメリカ人がノスタルジーに浸りにアフリカにやってきた、くらいの感覚。
なぜなら、アフリカ系アメリカ人が自分のルーツを探しにアフリカへ旅する数は年間1万人以上もいて、ガーナなどはこれを観光の目玉として外貨を稼ぐ手段にしていました(それが別に悪いわけではない)。
アフリカれ生まれ育った人たちは、奴隷として海を渡っていないので、一部アフリカ内のもと奴隷の人を除けば大多数は奴隷ではなかった人たちの子孫。
つまり奴隷制と戦ったり逃れたりして生き延びた人の子孫。奴隷の直接の被害者ではないので、著者の声高な主張に辟易します。
アフリカの人たち(奴隷制調査のアフリカ各国の同僚)が「私たち」とか「兄弟姉妹」と言うなかに、著者は自分のようなアフリカ系アメリカ人は含まれていないと感じます。
「同僚からすれば、系(ハイフン)という言葉つながれているとはいえ、わたしが自称するアフリカのアイデンティティは空想の産物であり、わたしのスワヒリ語名は娯楽にすぎなかった。押し殺した笑い抜きにわたしの名を呼ぶことなど、かれらにはできなかったのだ。」
また、ガーナ内にあったアシャンティ王国などは古くからアフリカ内部での奴隷貿易で財をなしており、著者の表現では「強盗経済が、世界の大部分からは隔離されていたはずの辺境地と接続された」と、ヨーロッパによる奴隷貿易との関係を指摘しています。
著者は、奴隷制とのたたかいを誰もが語るが、奴隷について語る者がいないことにも気づきます。彼らは結局奴隷小屋を免れたので、自分たちのような喪失や捕囚の物語でなく、生存と幸運、奴隷制への勝利、抵抗と超克の物語のなかにいると感じます。
そこでの奴隷制の歴史は、逃亡者と戦士の物語であって、主人と奴隷のそれではない。挽歌も、労働歌も、かなしみの歌もなく、戦争歌や軍歌が歌われると。
→確かにブルースはアメリカにしか生まれなかったなと思いました
■抜粋
「サラガで、軋轢が生じた。わたしがここを初めて訪れたときに出会った教師のババの案内で、わたしたちはママ・デマタを訪問した。彼女の祖父は奴隷商人で、彼がブルキナファソからガーナへと奴隷を輸送する際に使用した足枷一式をママ・デマタは所有していた。ママ・デマタが足枷を広げると、ムンビがそれを付けてみていいかと尋ねる。ムンビのスウェットパンツにママ・デマタが足枷をぐるりと装着すると、街の人々が集まってきて、どっと笑いが起こった。人々はムンビの足枷を指差しながら、奴隷だ、奴隷だと口々に呼ぶのだ。ナイキの野球帽と編み込まれた赤褐色の髪の毛、スウェットという出立に、足枷という不調和が可笑しかったのだろうか? 彼女はケニア人だったが、アメリカ人のような格好をしていた。すっかり奴隷になったつもりのムンビは、ママ・デマタ家の表庭を、ふらふらと小さな足取りで行ったり来たりしている。足を動かそうと四苦八苦しているうちに、錆びついた足錠は、ムンビのくるぶしに引っ掻き傷を残した。数分後、もう十分と見えた彼女は足枷を外してもらうよう願い立った。足枷は、それが装着されたときとかわらず何もなかったように取り外された。ムンビが再び自由の身になったとき、周りの人々は拍手喝采する。一方、わたしは煮えくりかえるようだった。」